日本にはうさぎにまつわる乗り物が多かった
スバル・ラビット
今では水平対向とシンメトリカルAWDに代表される四輪車メーカーとして、その地位を確固たるものとしているスバルだが、過去には2輪車を製造販売していた時代もあった。そんなスバル(当時は富士産業)リリースしていたスクーターがラビットと名付けられたものだった。
量産モデルは1947年から1968年と20年以上に渡って生産され、モデル数も40種類ほどにも上るバリエーションを持っており、まだまだ自動車が普及する前の時代の庶民の足として重宝される乗り物だったのである。なお、ラビットのモデルのいくつかは海外への輸出実績もあり、日本国外のマニアによって大切にされている姿も見ることができるほどなのだ。
ダットサン
日産自動車の前身としてだけでなく、海外で使用していたブランドとしてや一部の車名(ダットサントラックなど)としても知られているダットサン。その名前の由来は1914年に日産の源流でもある快進社が作り上げた乗用車に「脱兎(DAT)号」と名付けたことが始まりとなっている。
※画像はダットサン12型フェートン
この脱兎号は“脱兎のごとく“になぞらえて非常に速いというイメージと、快進社の支援者であった3名の頭文字のD、A、Tから名付けられており、のちにダット自動車製造という会社名へと受け継がれた。そのダット自動車製造が1930年に生み出した試作車にDATの息子(SON)としてDATSONという車名を付けたのが、ダットサンの始まりなのである。
ただ、ダットソンだと「損」に聞こえてイメージが良くないということで、太陽を意味するSUNに置き換え、現在のダットサンに落ち着いたというのが大まかな流れということになるワケだ。