日本ではリーガルとして販売されたモデルがじつはセンチュリー
ビュイック・センチュリーという車名は、いわゆる復刻車名となる。センチュリーは1936年に初代がデビューしたモデルで、6代目が2004年まで生産され絶版となっている。筆者としては、日本でも輸入販売されていたFF化の5代目がリーガル(本国のビュイックとしてはほかのモデルの車名)という車名で販売されていたのをよく覚えている。日本ではセンチュリーといえば、トヨタ・センチュリーがあるので、ビュイック・リーガルとなったのである。
※画像はビュイック・センチュリーリミテッドクーペ
筆者は1989年に初めてアメリカを訪れて、以降ほぼ毎年南カリフォルニアを訪れてはレンタカーでブラブラするようになったのだが、1990年代前半に入ると、日本でのビュイック・センチュリーの兄弟車となるオールズモビル・カトラス・シエラをよく借りてドライブしていた。
カムリクラスに相当するモデルのため、アメリカ車とはいえレンタカーではV型エンジンではなく直4エンジンを搭載していた。筆者の大好物でもあるベンチシートにコラムAT(いわゆるベンコラ)という、当時すでになくなりつつあったアメリカ車の古き良きスタンダード仕様に、ネオクラシカルなインパネデザインも最高であった。
砂漠の中のフリーウェイでエアコンを付けたまま勾配のきついところでも走ろうものなら、たちまち水温計が上昇し、慌ててエアコンを切ったこともあった。そのカトラス・シエラの兄弟車であるセンチュリーの車名が復活して、なんだかうれしくなってしまった。
ちなみに筆者の思い出深い、5代目センチュリーがリーガルとして日本で販売されていたころには、セダンだけでなくステーションワゴンもラインアップされており、ボディサイドにアメリカンステーションワゴンらしい木目調パネルも張られ、アメリカが大好きな人が好んで乗っていた。日本では3.1リッターV6のみが搭載されていて、キュービックインチでの計算ベースで開発されたようで、排気量を㏄でみると3000㏄から100㏄ほどオーバーした日本の自動車税で見れば中途半端な排気量になっており、たった100㏄ほど多いだけで自動車税が3000㏄未満の税額よりワンランク上になってしまっていた。
そのセンチュリーの車名を中国で復活させたのは、トヨタ・センチュリーも意識して豪華ムードを演出しているのではないかなど勘ぐりたくもなってしまうところである。