クルマがエンジン/モーター二刀流になるとは誰も思ってなかった
初代プリウスがトヨタから発売されたのは、1997年のことだった。同じ年に、気候変動枠組条約の第3回締約国会議(COP3)が開かれ、京都議定書が採択された。世界的な脱二酸化炭素が動き出す。
最終的にプリウスとして発売されるハイブリッド車(HV)の誕生に至る開発がはじまるのは、1993年だった。当時はまだHV開発と目標が定められていたわけではない。21世紀を見据えた提案型の新たな車両開発をするための企画として、G21プロジェクトが立ち上げられたのだ。
当初、HVは技術的な水準が高すぎて採用が困難だと判断されたが、電気自動車(EV)を開発していた組織と連携してHV開発の組織が発足するのである。
HVは、走行中にエンジンが始動したり停止したりする。これを自然に繰り返すため、可変バルブタイミング機構が用いられた。これもいまでは当たり前の技術になっているが、当時は実用化へ向け、耐久信頼性を見極めながらの開発が容易ではなかった。
また、それまでモーターで走り、エンジンは発電用に使うシリーズ式HVはあったが、総合的な燃費向上を目指すシリーズ・パラレル式の例はなく、モーター駆動とエンジン駆動を切り分けたり、同時に行ったりする遊星歯車を活用した動力分割機構は、トヨタ独自の構想だ。
開発がはじめられたころは2000年に発売予定であったのを、1997年末に前倒しとなり、そして発売された初代プリウスは、HVとしてだけでなくセンターメーターの採用や、やや背の高い4ドアセダンの外観など、従来に見られない価値の創造も含まれていた。
「21世紀に間に合いました」という宣伝文句そのままに、クルマの新たな時代を拓き、世界を驚かせたのであった。