この記事をまとめると
■物心ついた頃のクルマの思い出を語ってもらう本連載
■今回は御堀直嗣さんに語っていただいた
■クルマの絵を描いた卒園アルバムがいまも手もとにあるという
スカイライン1800は思い出深いクルマのひとつ
昭和30年(1955年)生まれの私が物心ついたとき、家にクルマはなかった。そもそも、1955年とは、初代クラウンが誕生した年だ。カローラは、もっとあとのことである。街を走っていた、日野ルノー4CVやいすゞヒルマンといった欧州車のノックダウン生産のタクシーに乗ることが、クルマ好きな少年の憧れであった。
当時、印象深かったクルマに日産セドリックがあり、縦目4灯のヘッドライトと、フロントウインドウが側面へ湾曲した独特な造形は、心躍らせるものがあった。また、幼稚園の卒園アルバムは、自分の好きな絵を表紙にしてくれるというので、クルマの絵をクレヨンで描き、その卒園アルバムは今も手もとにある。
自宅にクルマが来たのは、18歳になって運転免許証を取得したあとだった。中古のスカイライン1800(C10)である。できることなら2000GT(GC10)が欲しかった。しかし、中古車といえども2000GTは高根の花で、いとこがプリンス系販売店にいたつてでスカイライン1800はやってきた。
直列6気筒エンジンを搭載するためロングノーズな2000GTに比べ、前が短い1800はどこか外観に非力さがあったが、直列4気筒エンジン(G18)がプリンス製だというところが誇りでもあった。
シートベルトは2点式で、タイヤはまだラジアルではなくバイアス構造だった。それでも、フロアのマニュアルシフトであったため、運転の練習に励み、これでA級ライセンスも取得した。思い出深いクルマである。
スカイライン1800は、親に買ってもらった。のちに、自分で買ったのはレース仕様で中古のサニー1200クーペGXだ。これで学生時代にレース参加を果たした。公道を走れる量産車では、レースをやめたあと、これも中古の初代RX-7(SA)を買った。ロータリーエンジンを一度体験したかったからだ。リトラクタブル式のヘッドライトや、ガラス製のハッチバックが心躍らせた。このクルマで、鈴鹿サーキットへレース取材にも出かけた。
初の輸入車は、並行輸入された中古の73年型シボレー・ノヴァ2ドアクーペで、車検8カ月付を5万円で買った。その夏、スキューバダイビングやバーベキューなど、友人たちと存分に遊んだ。ベンチシートでコラムシフトという点がとくに気に入って、車検切れとなり手放すときには泣けた。