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近所に比べて家のクルマが「激ダサ」と委縮! 物心ついた頃の思い出のクルマ【石橋 寛編】 (2/2ページ)

近所に比べて家のクルマが「激ダサ」と委縮! 物心ついた頃の思い出のクルマ【石橋 寛編】

この記事をまとめると

■物心ついた頃のクルマの思い出を語ってもらう本連載

■今回は石橋 寛さんに語っていただいた

■祖父が乗っていたランドクルーサーがお気に入りだった

「塗る前?」と言われたボディカラーのクルマも

 今は亡き元F1レーサーにして希代のモータージャーナリスト、ポール・フレール先生の自伝が出版されています。お読みになった方も多いかと思いますが、それによると生まれて初めて触れたクルマはパナールとかなんとか、優雅なメイクスだったような気がします。さすが、フレール先生のお宅は違うと、読んだ当時はいろいろと感心した次第。

 一方、筆者の物心がついた頃、ウチにあったクルマは、今となっては名前もわからない小豆色のライトバン。お隣さんは真っ赤なポンティアック、裏の方にはトヨタのマークIIなんかがいましたので、子ども心に「致命的なまでにダサい」と委縮することしきり。記憶に残っていることはまったくといっていいほどなく、本当にあったのかどうかさえ不安になるほどですが、重たくて安っぽいドアは力いっぱい閉めないとすぐに半ドアなったことだけは頭の片隅に残っています。というのも、鬼より怖かった父から「ちゃんと閉めろ!」と怒号をあび、頭をバンバン引っぱたかれたからであります。

※写真はトヨタ・マークII(3代目)

 また、ライトバンと同時にフォルクスワーゲンのタイプIIもありました。商売を営んでいた我が家では「デリバリバン」と呼び、ライトバンでは運びきれない場面で使われていたかと思います。フロントシートからのアイポイントがライトバンより高いのは気に入ってましたが、いい記憶はそれだけ。なにしろ、ボディサイドにペンキでもってデカデカとウチの屋号が描かれており、どこへいってもバレるわけです。また、薄い艶消しカーキというボディカラーも今ならシックと受け止めることもできますが、当時としては地味! というより「塗る前?」みたいな軽口を叩かれたりして、ほんと辛かった(笑)。

 で、デリバリバンは父曰く「ガソリン撒いて走ってる」ほど燃費が悪く、また冬場の暖房があまりにプアなことから、筆者が中学に通うようになったころにはお役御免となりました。ですが、このクルマをただで引き取ってもらった先から、妹が再びサルベージしてきたという後日談も。結局、長期間放置されていたせいで、レストアはかなわなかったのですが、仮にうまいこと修理できたとしても、あのガソリン臭くてうすら寒いクルマには喜ばなかったかと思います。

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