この記事をまとめると
■ポルシェチューナーといわれることもある「ルーフ」だがじつは自動車メーカーとして認可されている
■1987年にロード&トラック誌の最高速チャレンジにて339.6km/hのトップレコードを記録した
■現在もCTRアニバーサリー、SCR、CTR3などのコンプリートカーを生産している
伝説はCTR「イエローバード」から始まった
ルーフをポルシェ911ベースにチューニングカーを作るファクトリーと考えているとしたら、それは誤解です。同社はすでにドイツ自動車工業会から自動車メーカーとして認められており、BMW傘下に収まる前のアルピナと似たような立場かもしれません。
とはいえ、ルーフが作るスペシャリティカーのほとんどは911オマージュというか、見まごうことなくポルシェ911を意識したもの。それでも、ポルシェからなんらクレームらしきものがアナウンスされていないのは、昔から相応の手段ないし対策を講じているのだと思われます(ちなみに、レストモッドで有名なシンガーはそのあたりをとても慎重にケアしています)。
ルーフの名が一躍メジャーになったのは、CTR、通称イエローバードによるナルド(フィアット所有のテストコース)の最高速チャレンジにほかなりません。1987年ロード&トラック誌が開催した企画で、エントリー車はフェラーリF40やポルシェ959など名だたるスーパーカーたちでした。が、ルーフCTRはトップスピード339.6km/hをマークし、それまでF40が持っていた323km/hをものの見事に蹴散らしたのでした。ちなみに、翌年は6速化してチャレンジした結果342km/hをマークして、これまたトップレコードをたたき出しています。
これほどまでに凄まじいマシンを作り上げたルーフですが、そもそもはフォルクスワーゲンの修理工場兼ガソリンスタンドという環境からスタートしています。初代創始者のアロイス・ルーフ亡き後を継いだ息子のアロイス・ルーフ(ジュニア)の代になって、初めてポルシェのカスタムに着手したとのこと。
そんな1980年代初頭、ドイツはスペシャリティカーの一大ブームを迎えていました。主に911を手がけるファクトリーだけでも、DP、ゲンバラ、シュトロゼックなど、群雄割拠といっても過言ではない状態だったかと(ちなみに、クレーマーやヨーストはスペシャリティカーでなく、レーシングカーコンストラクターという立場)。ルーフもそうしたなかにあって、頭ひとつ抜け出すためさまざまな模索を繰り返したと伝えられています。
で、アロイスが始めたのが911のエンジンチューン。といっても、初期のAMG同様に排気量アップが中心で、さほど手が込んだものとは言えませんでした。それでも、当時としては画期的であり、マーケットでは十分以上の手ごたえが得られたことでしょう。次いで、ルーフはターボチューンに着手。これには時間をかけた(手を焼いた)ようで、開発車両(そのオリーブドラブの車体色から後にNATOというペットネームが与えられました)はかなり酷使されたコンディションだったこと、さまざまなメディアで伝えられていました。