赤いボディカラーの乗用車はホンダSシリーズで実現
駆動系の最後にチェーンを使うというのはホンダ独自のアイディアというわけではない。むしろ自動車の量産が始まった1900年代にはチェーンドライブを採用しているクルマが複数存在していた。航空機のエンジンを積んだ、当時の最高速アタックマシン「フィアット・メフィストフェレス」も左右の後輪にチェーンが伸びている様子が確認できる。
なお、1963年10月に誕生したホンダS500は、1694年3月にはエンジン排気量を増やしたS600へと進化。その後、S600クーペ(1965年2月)、S800/S800クーペ(1966年1月)へとマイナーチェンジを繰り返す。それでもチェーンドライブは引き継がれていたが、さすがに1966年5月にはオーソドックスなシャフトドライブのレイアウトへと変更された。これは信頼性や音振の改善につながる正常進化といえる。
S500/S600/S800への進化におけるボディメイクで違いが目立っているのが、S800のボンネットに膨らみ(パワーバルジ)が新設されていることだ。
パワフルに進化した791ccエンジンをアピールするためという風に考えるかもしれないが、けっしてこけおどしのためにパワーバルジが追加されたわけではない。この時代に、インジェクション化を計画していたことがパワーバルジを必要とした理由というのがホンダの公式見解となっている。
残念ながら、インジェクションシステムの自社開発が間に合わず、キャブレター仕様となったためパワーバルジは、ある意味「無用の長物」、というかサブカル的にいえば「トマソン」的な存在になってしまったが、そこにホンダのチャレンジングスピリットを感じるべき存在といえるのだ。
ホンダの挑戦といえば、Sシリーズのイメージカラーがレッドというのも見逃せないポイントといえる。
じつはホンダがSPORT 360を開発していた当時、日本では市販車に赤いボディカラーを設定することは実質的には禁じられていた。その理由として、赤は消防車専用カラーである、というのが監督官庁の見解だったということだが、その規制をホンダは跳ね除け、Sシリーズのイメージカラーを赤とすることに成功した。
ホンダのチャレンジがなければ、現在でも国産車は赤いボディカラーを設定することができていなかったかもしれない。その意味でも、ホンダSシリーズというのは歴史を変えた一台といえる。
なお、消防車のボディカラーについては保安基準によって「朱色」とすることが定められている。朱色は黄色が強い赤であり、ピュアなレッド系であれば消防車と見間違うことはないのは言うまでもないだろう。