いまでも色褪せない完成度を誇る「市民」のためのクルマ
次は4代目。グランド・シビックの呼び名で登場した4代目シビックは前後サスペンションにダブルウイッシュボーンを採用するなどコストを顧みないチャレンジングな車体設計で世間をアッといわせた。僕自身、あまり知られていないがこのグランド・シビックで全日本グループA選手権に参戦。その初戦で勝利している。一緒に組んだのは故・村松栄紀選手で、その直後に彼はF3000のテスト走行中に事故死。僕はPIAA nakajima レーシングに移籍して後半戦を闘った。
試乗車は3ドアHBで、このグループAレース車を思い出させてくれる。グループAは規定で車体外観の変更やインパネ、エンジンルーム外見を変えられず生産車のまま使用されていたので、レース車ながら市販車の面影を色濃く残していたからなおさらだ。グランド・シビックの走りはダブルウイッシュボーンサスペンションが路面ホールド性を高め、安定した走行フィールで高い限界性能を引き出している。それが当時のまま保存されていることは驚きでもあるのだ。
5代目シビックは「スポーツシビック」の通称で呼ばれる。試乗車は3ドアHBのSiRグレードで、VTECエンジンを搭載。リヤハッチゲートを上下開きとし実用性を高めながら、強力な走行性能を示した。グラマラスな車体デザインは北米で高い人気を獲得したが、国内ではスポーツ性に多くの注目が集まった。
改めて試乗してみても、質感が高くボディ剛性の高さを感じる。衝突安全性に適合させるために車体サイズが拡大し、重量は増しているが、パワースペックの向上で走りの質と速さは向上していたことが感じ取れる。
次は6代目。「ミラクル・シビック」と呼ばれたこのモデルには初めて「タイプR」が設定され、現代に通じるホンダ「タイプR」の原点となった。試乗車はタイプRではないが、同じスタイリングの3ドアHB車が用意されていた。その走りは軽快さを増し、MTを操る楽しさを極めている。
これ以降は2ペダルのATやCVTが主流となっていくが、MTの完成度が極められていて、サーキットを走らせるのが楽しいモデルだ。ショートコースではシフト操作が忙しいが、それを苦にしない操作性の良さが維持されていて、質の高いメンテナンスを受けて大切にされていることが伺える。
7代目シビックは「スマート・シビック」と呼ばれた。じつは7代目シビックからシビックはその立ち位置を明確に示せなくなっていたと感じる。同じ次期にホンダはフィットを登場させていて、その優れたパッケージングや実用性の高さがシビックの顧客を振り向かせ、奪う結果を産んでしまっていたのだ。
7代目シビックは当時ブームとなりつつあったトールデザインを採用し、高いルーフ高にゆとりある室内空間を獲得、後席シートにリクライニング機構を取り入れるなど工夫を施されていたが、走りのDNAが失われつつあったのは確かだ。いま走らせてみても、高い重心高によりコーナーではロールが大きく、接地性は保たれているものの敏捷性は陰を潜め、ファミリカーとしてのみ存在するかのような車格となってしまっていたのがわかる。
次は8代目だ。8代目には時代背景もあってホンダ初のハイブリッドモデルが設定された。IMAと呼ばれるHVシステムはいまでたとえるならマイルドハイブリッドに近く、トヨタ・プリウスのシリーズ/パラレルHVシステムには燃費面で及ばなかった。ただ4ドアセダンとしてのパッケージングやデザインは優れたもので、個人的には好きなモデルだった。またタイプRも設定があり、4ドアセダンのタイプRとして価値が認められる。
試乗モデルはガソリン仕様で、極めて良好なコンディションに保たれている。クラス初となった5速AT仕様はエンジンとの協調性に優れ、ドライバビリティがいい。車体剛性も高く、がっちりとした乗り味を楽しんだ。
最後は9代目だ。9代目は残念ながら日本国内では販売されず、欧米専用車となってしまった。しかし、日本で限定発売されたタイプRの性能向上は凄まじく、独ニュルブルクリンクでのFF量産モデル世界最速タイムを叩き出し、最高速270km/hを可能とするなど「スーパーカー」と言えるような高性能を示した。
今回、試乗車としてタイプRが用意されたのは嬉しい限りだ。僕自身、このタイプRを独アウトバーンの速度無制限区間で走らせ267km/hの速度をメーターで確認した。三菱のランサー・エボリューションでも最高速は253km/h止まりだったから、同じ2リッターターボで270km/hというパフォーマンスには驚愕させられた。制限速度指定のショートコースでは、その性能のかけらも感じられないが、欧州車並みの剛性感や精度の高さをしっかりと感じ取ることができる。この良好なコンディションを今後も末永く維持し「走る伝説」として後世にホンダ・スピリッツを語り継いでもらいたいと願う。