この記事をまとめると
■職人がボディパネルを手で仕上げていたクルマを紹介
■手作業で作っていたがゆえに補修部品がポン付けできないケースもあった
■現在も手作業で作られているクルマが国内メーカーには存在する
昔のクルマはボディまでも職人が手で作っていた!
人気車種では月に数万台レベルで販売されることもあるクルマたち。そのため、クルマの生産工場では多くの作業のオートメーション化がなされている。これは組み立てだけでなく、ボディパネルの製造も同様のことが言え、現行車の複雑な曲面をもったボディパネルもプレス機によって大量生産されているのが一般的だ。
しかし、過去にはその凝ったデザインゆえにプレス機での成型ができず、熟練の職人によってハンドメイドで仕上げられていたモデルも存在しているのだ。
いすゞ 117クーペ(初期モデル)
ハンドメイドのクルマとして広く名が知られているクルマのひとつとして、いすゞ 117クーペが挙げられるだろう。1968年に登場した同車はコンセプトカーであった117スポルトを市販車としてリデザインしたものだったが、それでもすべてのボディラインをプレスで成型することができず、職人の手によって仕上げがなされていたのだ。
そのため、初期の117クーペは「ハンドメイドモデル」と呼ばれるほどとなっており、その美しいボディラインはいま見ても色あせることはないものとなっている。
その後、いすゞはGMと提携したことで資金と技術を習得し、117クーペのボディもプレス機による成型が可能となったため、1973年に登場したモデル以降はハンドメイドモデルではなくなった。
日産 シルビア(初代)
貴重なFRレイアウトのクーペモデルとして、中古車市場で高値安定となっているシルビア。いまではドリフト走行のベース車というイメージが強いシルビアではあるが、初代モデルは流麗なクーペスタイルを持ったスペシャリティカーとして登場していた。
クリスプカットとも呼ばれたシャープなラインは当時のプレス機では再現することが難しく、職人によって1台1台手作業によって実現されていたのだが、それゆえに価格も高額で当時の価格で120万円となっていた。
この金額は、当時のフラッグシップセダンであるセドリックをも上まわり、サニーの2倍に匹敵するもの。それだけに総生産台数も554台と極わずかであるが、そのスタイルは一見の価値があるだろう。