衝撃を受けたコンセプトカーは自身の愛車にまでなった
そんな高校生が同時期に憧れたのはAE86カローラレビンでした。1985年頃には、まだドリフトムーブメントはなく、ハチロクは手頃なスポーツクーペといった位置づけ。高校を卒業したらバイトして買えるかも、などとリアルな妄想が膨らんだものです。
そして、なぜがハチロクについてもパンダカラーと呼ばれる白黒2トーンが憧れでした。ボディ形状的には3ドアハッチバックより2ドアクーペのほうが好みでしたが、それよりもパンダカラーであることのほうが自分にとっては重要だったのです、不思議なことに。
インターネットもなかった当時ですから、中古車の情報源は雑誌が中心という時代。また、先輩や友人といったつながりも中古車を見つけるには重要なネットワークでした。正直、そうしたなかで、憧れたパンダカラーのハチロクとの出会いもあったのですが、結局縁がないまま時間は過ぎていきました。
そして、成人を迎えて最初に開催された東京モーターショーで衝撃の出会いがありました。それがマツダ・オートザムのブースに飾られていた「AZ550」です。のちにオートザムAZ-1として発売されることになるマイクロスーパーカーは、リトラクタブルヘッドライトと赤黒2トーンという自分の大好きな要素を持っていたのです。
市販されたときにはヘッドライトは丸型の固定式となっていましたが、赤とガンメタの2トーンカラーに、正統派ガルウィングドアの組み合わせは、自分の理想が実現した1台と感じたものです。
仕事の関係もあって、AZ-1の兄弟車であるスズキ・キャラ(もちろん赤いボディカラー)を手に入れることができたのは20代半ばのことでした。ようやく憧れが現実になったのです。
学生時代に憧れたショーカーの量産版を愛車にするという体験は、自動車コラムニストとしての自分には欠かせない体験でした。もっとも、AZ-1(キャラ)の乗り味は非常にスリリングで、乗りやすいとは言い難いものでした。それも「あばたもエクボ」となっていったのは惚れた弱みだったのかもしれません。