この記事をまとめると
■フェラーリ初の4ドア4シーターモデル誕生を機にフェラーリの4シーターモデルを振り返る
■4人乗りフェラーリのルーツは1948年166インテル・ベルリネッタまで遡ることができる
■FF以降の4シーターフェラーリはデザインに大きな自由度が与えられている
最初の4シーターフェラーリはカロッツェリアによって製作された
フェラーリから、新型の4ドア4シーターモデル、「プロサングエ」が誕生したことを、世界のフェラーリスタはどのような感情で受け止めているだろうか。まず断っておかなければならないのは、それは近年多くのプレミアムブランドが進出を果たしたSUVではないと、フェラーリが強く主張していることを。その姿はいかにもSUV、あるいはクロスオーバーのシルエットを持つが、それはあくまでもスーパースポーツの新しいカタチにほかならないのだ。
4シーターという意味では、2011年に発表されたFF(フェラーリ・フォー)や、その後継車として2016年に誕生したGTC4ルッソもまた、4輪駆動のシステムを持つと同時に4シーターとして十分に快適なキャビンを持つモデルだった。「4」というナンバーが、その両方を意味するものであったことは、あらためて詳しく説明するまでもない。
フェラーリにとって、じつは4シーターモデルは驚くほどに長い伝統を持つモデルだ。それはフェラーリのスポーツ性やパフォーマンスを、4人乗車で楽しみたいというカスタマーが、初期の時代においては独自にカロッツェリアに製作を依頼したもの。最初のモデルはフェラーリが最初のカタログモデルとした166インテルをベースに1948年から1950年にかけて製作された2+2で、実際のボディ製作はツーリングやギア、スタビリメント・ファリーナ、ビニャーレなどのカロッツェリアによって行われた。総生産台数はフェラーリによれば37台と記録されている。
エンジンを2.5リッターに拡大した後継車の212インテルでも80台の2+2モデルが1950年から1953年まで誕生している。製作はやはりカロッツェリアの手によるもの。ビニャーレやツーリング、ギア、そしてピニンファリーナもこの212インテルでは魅力的なデザインを生み出しており、また166と212の途中、1950年と1951年のみ生産された195インテルでも、26台と少数だが2+2が存在する。
フェラーリとカロッツェリアのコラボレーションによる2+2モデルは、たしかに一部のカスタマーには人気を博すが、フェラーリ自身がその生産をカタログモデルとして行うまでにはさらに10年ほどの時間が必要だった。フェラーリが最初に自らの手で生み出した2+2モデルは、1960年のパリ・サロンで発表された
250GTE 2+2で、これは当時の250GTシリーズの1バリエーションという扱いだった。搭載エンジンは250という数字からもわかるように、3リッターのV型12気筒。最高出力は240馬力を発揮し299台が生産された。
しかし、この250GTE 2+2は、わずか1年でシリーズ2へと進化。テールランプやインテリアのデザインが変更され356台の販売を記録している。さらに、1962年には再びマイナーチェンジによってシリーズ3が登場。外観の小変更とともにエンジンのチューニングも改められたが、240馬力の最高出力はシリーズ1から変化はなかった。ちなみにこのシリーズ3の生産台数は300台とされる。
250GTE 2+2の後継車となったのは、1963年に誕生した330GT 2+2シリーズ1だが、その間には250GT 2+2をより高性能にというカスタマーの声に応えて、330アメリカが1963年に50台生産されている。エンジンは4リッターのV型12気筒。内外装は250GTE 2+2のそれをそのまま流用したものだった。330GT2+2シリーズ1が登場したことで生産台数は伸びなかったが、現在でもそれはマニアの間では人気の一台となっている。
一方の330GT 2+2シリーズ1は、ピニンファリーナによる個性的なヘッドライトや美しいボディのシルエットが高い人気を呼び、1965年までに505台の生産が行われた。搭載された4リッターエンジンは最高出力が300馬力。その走りは多くのカスタマーを魅了したに違いない。
1965年にはそれまで4速だったギヤボックスが5速化された330GT 2+2インテリムが120台。また、1965年から1967年にかけては、このインテリムをベースにさらにそのスタイリングをモダンに改めた330GT 2+2シリーズ2が450台生産されている。