3代目レックスはモータースポーツの場に進出!
そんな力作も、スズキ・アルトやダイハツ・ミラなど実用性重視の軽自動車の人気が高まる時代に合わせ、1981年発売の2代目モデルでは、一般的なFFレイアウトの実用ハッチバックスタイルに変更。当時のレオーネと同じく、市場に迎合した凡庸なイメージがつきまとってしまったが、当時の資料をみると、FFと4WDのパイオニアならではの軽自動車であることを強く訴求しており、当時の競合車とはひと味もふた味も違う孤高の存在だったことが伺える。
室内長はほかのFF軽自動車を上まわるクラス最長を実現。身長180cmの大柄な体格でも快適に過ごせる運転環境や、フロア全面に敷き詰められた二重構造、一体成型のボード付きサイレンサーによる水準を超えた静粛設計、フロントゼロスクラブの4輪独立懸架により女性でも扱いやすい軽いステアリングなど、マニア受けする訴求ポイントに溢れている。この時代でも「0次安全」をしっかりアピールしているし、4WD仕様の追加時には、豪雪や砂漠を激走するシーンで走破性の高さを演出。カタログにはパワートレイン&駆動系の写真を大きく掲載し、メカニズム面の優秀さをアピールするところもじつにスバルらしい。
「ビッグミニ」と自ら表現したとおり、荷室容積は最大で600リットルもあるので、キャンプなどのアウトドアレジャーにも対応。2代目レックスは、アクティブライフ向けRV車の先駆け的な存在でもあった。
1986年登場の3代目モデルは、ツインビスカス式フルタイムAWDや、ジャスティに初めて搭載したばかりのE.CVTを採用。ハイパワースポーツグレードはターボではなくスーパーチャージャーを採用するなど、やはり他銘とは違うメカニズムが際立つ。マイナーチェンジで2気筒から3気筒ではなく4気筒を搭載したところも極めて独創的だ。もちろん、サスペンションは4輪独立懸架式。さらに電動オープントップ仕様も追加するなど、豪華さの充実にも抜かりはなかった。
また、3代目モデルではモータースポーツの場で走りを磨く意識が強められたのも大きな特徴だ。栃木県のスバル研究実験センター(通称SKC)はまだなく、走行テストを行える環境が整っていなかったので、気候や路面状況が過酷な海外での競技参戦を重視。
「小関オヤブン」の名で知られるスバルモータースポーツの礎を築いた小関典幸氏の発案により、3代目レックスは過酷なヒルクライムとして知られるコロラド州のパイクスピークヒルクライムレースに参戦している。レックスの後継モデルであるヴィヴィオは、WRCサファリラリーでクラス優勝を遂げたことで伝説となったが、その礎はレックス時代に培われたのだ。
スバル360やヴィヴィオという、つねに不朽の名車として称えられる傑作軽自動車のイメージが強烈すぎて、今の時代にあってはいまいち印象が薄いレックス。しかし、よく見るといずれもスバルらしさが満載の力作ぞろいで、20年3世代にわたり個性的なベーシックカーとして愛されたのだった。