ひとつにとらわれない着眼点がユーザーの選択肢を増やす
さらに、走行感覚について言えば、燃料を燃やす内燃機関は、エンジンの機関運転音や排気音を発生するが、EVの走行音は、排気音もなければモーターの回転音もほぼ無音と言えるものだ。もちろん、過大なエンジン音や排気音は許容外だが、現在の内燃機関車が発する音は違和感のないレベル、むしろ音を発することで、クルマを動かしている実感が得られている人も少なくないだろう。
水素燃料による内燃機関車とEVの違いは、いずれが優れているか、劣っているかという比較の問題ではない。あえて言うなら、人間感性との摺り合わせ、マッチングの問題と表現してよいだろう。内燃機関の運転に親しんだ人なら、水素を燃料とする内燃機関車ならまったく違和感なく接することができる。反対に、これからドライバーとなる若い層の人たちにとっては、EVの走行感覚しか知りようがなければ、EVが自動車のスタンダードという受け止め方となり、EVの動きに違和感、疑問を抱くこともないだろう。
トヨタの提言は、二酸化炭素を排出しなければ(無公害であれば)、水素燃料車もEVも社会的に果たす責務は同じ、という解釈である。それならば、内燃機関と電気モーターによる運転感覚、操作感覚の違いに関して(燃料補給の違いまで含めて)、自分の感覚やライフスタイルに合った選択肢が存在することは、ユーザーにとって大切なことである、という生産者側の思想、対応である。
EVは、ユーザーが負担するコストに関わらず、自動車の将来像として唯一無二の存在として受け止められている。一方、水素燃料車の可能性は、燃料補給に関するインフラとそのコストにかかっていると言ってよいかもしれない。水素燃料による内燃機関車は大いに魅力だが、補給インフラ(ステーションの数など)や燃料代がEVに較べて圧倒的に不利ならば、技術的には可能でも実用性は低いと言わざるを得ない。
ユーザーにとってどれほどのメリットになるか、現状では判断しかねるが、水素燃料による内燃機関と電気モーターによるハイブリッド方式の成立も十分可能である。たとえば、水素燃料がやや高価だとした場合、ハイブリッド方式によってランニングコストを下げることもできる。
水素燃料車に対して着目すべき点はふたつ。無公害機関であること、ガソリン/ディーゼルと同じ運転感覚、走行感覚、維持感覚であることだ。水素燃料車の将来性は、水素燃料に関わるインフラの整備と燃料代という意味でのコスト性にかかっている。
そのためには、水素燃料車が普及することも必要条件のひとつになっている。ユーザーの選択肢も考慮したトヨタの着眼点は、高く評価してよいと思う。