自動車メーカーのトップは普通じゃ務まらない! 躍進の裏には伝説のカリスマ社長が存在した (2/2ページ)

強烈なリーダーシップで会社を牽引したカリスマ社長

 チャップマンと同じく、いやそれ以上のカリスマ性を持った社長と言えば、ホンダの創業社長、本田宗一郎氏を差し置くわけにはいきません。たくさんの書籍やエピソードがあり、どれを紹介しても胸アツ必至。

 とりわけ筆者が好きなエピソードは、宗一郎氏が社長業を退いた後、全国のホンダ工場・販売店行脚に出かけた際のこと。田舎の販売店を訪れた宗一郎氏は、従業員全員に「ありがとう」と感謝を伝えひとりひとりと握手をしていたのですが、そのうちクルマの整備を担当していた方が「あ!」といって手を引っ込めました。自分の手が油にまみれて汚れていることに気づき、洗ってこようとすると、宗一郎氏は「その油まみれの手がいいんだ」と両手で彼の手を握ったのだそうです。

 なお、宗一郎氏にまつわるエピソードは、氏を継いで二代目社長になった河島喜好氏の談話がもっとも面白い気がします。例のスパナが飛んでくる件など、宗一郎氏の胸アツで豪快なキャラがリアルに語られているので、機会があったらぜひチェックを!

 さて、生粋のカーガイでもないのに、アメリカの自動車殿堂入りを果たしたリー・アイアコッカもまた、先のふたりに勝るとも劣らないクルマ会社の社長でした。

 最初はフォードで初代マスタングの開発責任者として頭角を現し、不振にあえいでいたマーキュリーやリンカーンを立て直すと、当時の会長だったフォード2世から社長に抜擢。社長の座についてからは、デ・トマソへのエンジン供給によってマングスタやパンテーラの誕生に寄与。

 ギアやヴィニャーレといったイタリアンブランドを買収したのもこの当時のことですが、このふたつのバッジはいまだにフォードが所有しているのはご存じのとおり。フォード・フィエスタとギアなんて妙なコラボだと思われていた方、じつはアイアコッカの仕業なんです。

 このように、自身のルーツでもあるイタリア系企業とのコラボや肩入れだったのですが、どれもこれも決して成功とは言えない結果となり、ついにはフォード2世から屈辱的な降格を言い渡されてしまうのでした。

 が、ここからがアイアコッカのド根性で、なんとクライスラーの会長から「いっちょ、ウチの社長やらん?」と誘われると、フォード憎しの一念からホイホイと承諾。すると、いきなりダッジ・キャラバンといったヒット作を乱発し、破綻目前だった同社を見事なまでにV字復活させてしまいました。

 しかしながら、再びイタリアの血が騒いでしまったのか、マセラティとの提携やインド企業からランボルギーニの買収をほぼ独断で決行。聞いてるだけならワクワクしてきますが、結果としてはどれもダメ(笑)。

 ついにはクライスラーからも追い出されるように失脚してしまうのですが、殿堂入りは失脚のわずか2年後のこと。毀誉褒貶はなはだしいアイアコッカ氏ですが、その判断は名著「わが闘魂の経営」をお読みになるのがよろしいかと。まんまとカーガイ社長にまでのし上がった手法、ビジネスノウハウは現代でも十分通用するソリューション揃いですよ!

 ともかく、クルマ会社の社長というのはここに挙げたメンバーだけでなく、すごい方々、面白キャラ揃い。まだまだ、紹介し足りないのですが、それはまた別の機会といたしましょう。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

文筆業

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三菱パジェロミニ/ビューエルXB12R/KTM 690SMC
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DJ(DJ Bassy名義で活動中)/バイク(コースデビューしてコケまくり)
好きな有名人
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