この記事をまとめると
■ライター陣が愛車をインプレッションする連載
■今回は松村 透さんの愛車を紹介
■1970年式ポルシェ911S、「ナローポルシェ」といわれているモデルだ
30年間のポルシェへの想いがすべて詰まった、愛しの「プラレール号」
私の愛車は、1970年式ポルシェ911S。通称「ナローポルシェ」といわれているモデルです。
■愛車のプラレール号。正式なボディカラー名は「パステルブルー」
手に入れたのは2012年。早いもので、今年でちょうど10年経ったのですね……。フルオリジナルとはかけ離れた姿と、ボディカラーを見た主治医が「プラレール号だ!」と命名するほど真っ青なボディカラーが特徴です。
今回、編集部から愛車であるプラレール号にまつわる記事を書いて欲しいとのありがたいオファーをいただき、ポルシェ911の強烈な原体験やこれまでの経緯を振り返りつつ、まとめてみることにしました。
原体験はいまからちょうど30年前
■当時の正規ディーラーでいただいた1992年モデルの価格表、911およびボディカラーサンプル、総合カタログ
私と911との出逢いはいまからちょうど30年前、1992年のことでした。当時は「タイプ964」が現役の時代で、日本市場で「カレラRS(964RS)」が限定販売された年でもあります。
友人の紹介ではじめたアルバイト先の社長さんがポルシェ911のオーナーで、当時所有していた1984年式911カレラ3.2(タイプ930)から、ニューモデルに乗り替えるタイミングだったのです。件(くだん)の社長さんが当時の正規ディーラーに行く用事があるというので、私も連れて行ってもらえることになりました。
■1992年といえば日本市場に964RSが導入された年。ベーシックモデルの車両本体価格は1330万円
生まれて初めて足を踏み入れた外車ディーラー、ピカピカのポルシェに堂々と触れることが許された空間……。何しろ当時の私は学ランを着て通学する高校生。冷や汗がでるほど「超アウェイな空間」であったことはいうまでもありません。
そんな気配を察してか、担当セールスの方の粋な計らいで、メカニックの方のドライブでディーラーの周辺をテストドライブすることになったのです。この30分ほどの濃密な時間が「原体験」となり、その後の人生を大きく変えるきっかけになろうとは……。人生何が起こるか分かりません。
ディーラーのデモカーは「ルビーストーンレッド(ルビースターとも呼ばれるようです)」という、あざやかなピンク色のカレラ2(MT)。いま思えばドライバー担当のメカニックの方がサービス精神旺盛で、下道にもかかわらずアクセル全開&ABS作動のフルブレーキ! と、現代の日本では実演困難であろう派手なテストランでした。背後で吠える空冷フラットシックス、まるでブレーキキャリパーがパッドに噛みつくように効くブレーキ、横断歩道の舗装面の段差すらなめらかに伝えてくるしなやかな足まわり。この原体験があまりにも強烈すぎて……。学ラン高校生の身分でありながら、一瞬にしてポルシェに、そして911に魅せられてしまったのです。
■30年経ったいまでも忘れもしない、ポルシェ911カレラ2(MT)、車両本体価格1035万円というあまりにも高い壁に愕然……
帰り際にカタログをいただいたのですが、その日の晩、寝る前にカタログを読み返して「ポルシェ911カレラ2(MT)、車両本体価格1035万円」に愕然とした記憶があります。オプション未装着の素の状態でありながら、軽々と「イッセンマンエン超え」。こんなもん、いったいどうすれば手に入るんだよ……。そんなことを思いながら枕元にポルシェのカタログを置き、眠りにつきました。
ちなみに、社長さんが選んだ仕様は「1992年モデルのカレラ2(MT)、ボディカラーはグランプリホワイト、内装はブラックレザー。主なオプションは17インチカップホイール、スライディングルーフ、スペシャルシャーシ、リヤワイパーなし」でした。92年モデルといえば、ターボミラーとカップホイールに変更され、カレラ2のリヤブレーキキャリパーが4ポッドになった、後期仕様最初の年です。いま、この個体が手元にあれば「お宝確定」でしょう。
■アルバイト先の社長さんが、1992年から13年間溺愛した964カレラ2。13年所有してこのエンジンルームのキレイさは異次元の域
社長さんが手塩にかけて隅々まで洗車していたので、ディーラーの方ですら「あまりにもきれいでおそろしくて触れない」というほど素晴らしいコンディションを誇った個体でした。このカレラ2を13年間所有したあと、997カレラSに乗り替えたときに手放してしまいましたが(このとき500万円でどう? といわれましたが、手が届かず断念)、果たしていまも日本にあるのでしょうか……。