クルマ好きなら知っておきたい! 5分でわかる日本の主な乗用車メーカー8社のルーツと特徴を簡単解説 (2/3ページ)

ホンダは小さな町工場からのスタートだった

 次は、2021年にF1で悲願のコンスラクターズタイトルを獲得し、今後はカーボンニュートラルへの挑戦をすると宣言して、F1から撤退した本田技研工業、通称ホンダ。その始まりはヤンチャで好奇心旺盛で、人の喜びを自分の喜びと思える温かい心を持った1人の遠州男児、本田宗一郎が1948年に創立した小さな町工場からのスタートでした。自転車用の補助エンジンが大ヒットし、自社製エンジンを開発。1949年にはドリームD型という2輪車が登場。「今に世界のHondaになる」がこの頃から本田宗一郎の口癖でした。世界の累計販売台数が2021年末で1億台を突破したカブも登場し、1954年にはマン島TTレースにも出場。まず2輪車で世界に名を馳せていったのがホンダの特徴です。そして1962年には日本初の本格国際サーキット「鈴鹿サーキット」が完成し、1964年にRA271というマシンでF1デビューを果たし、翌年のメキシコGPで初勝利。1967年にはホンダ初の乗用車としてN360が誕生。

 これは現在の軽自動車Nシリーズの祖先にあたります。モータリゼーションの高まりとともに世界各地で公害が問題となり、もっとも厳しい排ガス規制をしいたカリフォルニア州のマスキー法を、世界で初めてクリアしたのがホンダでした。シビック、アコードといった人気モデルも登場し、四輪メーカーとしての存在感を強めていきます。また、クルマだけでなく耕うん機、船外機、発電機や芝刈り機、除雪機といった、生活の中で活躍する汎用製品も多く生産。近年ではプライベートジェット機も実現し、陸・海・空すべての分野でホンダ製品が愛されている希少なメーカーとなっています。

 続いては、現在も使われているスリーダイヤ・マークが登録されたのは1914年という歴史を持つ、三菱自動車。国産ジープの販売会社が前身となる新三菱自動車販売会社をルーツに持ち、のちに三菱自動車工業となります。日本初の量産乗用車「三菱A型」は1917年に登場。1960年にコンパクトファミリーカーの三菱500、翌年に軽自動車の先駆けとなる三菱360を発売し、1962年にはマカオグランプリで三菱500がクラス1位から3位を独占。

 モータースポーツでも頭角を現し、1967年にサザンクロスラリーでコルト1000Fがクラス優勝を遂げると、ラリーの三菱、四駆の三菱のイメージが浸透していきます。1982年にはのちにパリダカで圧倒的な強さを見せつけることになる、本格クロカンSUVのパジェロが登場。1992年に、即完売した伝説を持つランサーエボリューションが誕生し、WRCでも大活躍。速い四駆、曲がる四駆のイメージは多くのファンを獲得しました。現在はラインアップをSUVメインとし、EVでの走行距離が長いPHEVを主力モデルとしています。

 次は、2020年に創業100周年を迎えているマツダ。1920年に創業時は東洋コルク工業としてコルク生産を行なっており、この技術がのちに3輪トラック開発に生かされています。1960年代にトラックから乗用車へ舵を切り、R360クーペが誕生。

 これが大ヒットし、続くキャロルもロングセラーとなります。そして今でもマツダの代名詞的存在となっているロータリーエンジンを搭載したモデルとして、1967年にコスモスポーツが登場。他社にはない独創的な技術を発信し続ける現在のマツダは、この頃からスタートしているのです。また1989年に発売されたロードスターは、世界でもっとも生産されたライトウェイトスポーツカーとして、ギネス記録を保持し続けています。

 そして2012年には、内燃機関をとことん突き詰めて環境問題に立ち向かう、SKYACTIV技術を前面に。マイルドハイブリッドと合わせて、マツダの大きな特色となっています。


まるも亜希子 MARUMO AKIKO

カーライフ・ジャーナリスト/2024-2025日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
MINIクロスオーバー/スズキ・ジムニー
趣味
サプライズ、読書、ホームパーティ、神社仏閣めぐり
好きな有名人
松田聖子、原田マハ、チョコレートプラネット

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