この記事をまとめると
■かつてトヨタ車は「80点主義」と呼ばれていた
■しかし2000年頃よりトヨタのクルマ作りに変化が起きる
■理由は商品開発が海外中心に変わったことなど
トヨタに執拗にマークされたのがホンダ
かつてのトヨタ車は「80点主義」と呼ばれた。すべてを平均的に「80点」で仕上げるという意味ではない。「不得意な科目でも最低80点は獲得する」ことを意味する。
この80点主義を濃厚に感じさせたのは、1960年代から2000年頃までだ。代表車種はカローラ/コロナ/マークII/クラウンといった4ドアセダンになる。趣味性は弱いが、上質で入念に造り込まれ、誰が購入しても期待を裏切らなかった。
そして1998年にはレクサスISの日本版として、後輪駆動ながら全長を4400mmに抑えたスポーツセダンのアルテッツァ、内外装を上質に仕上げながら外観とサイズは控え目な上級セダンのプログレも加えた。セダンの主流とされるマークIIやクラウンをそろえる一方で、アルテッツァやプログレといった反主流も投入して、トヨタだけでセダン市場を完結させていた。
当時のトヨタはミニバンのような新しいカテゴリーにも目を光らせ、他社からヒット作が生まれると、必ず「刺客」を送り込んだ。とくに執拗にマークされたのがホンダだ。2000年にホンダがワゴン風ミニバンのストリームを発売して人気を得ると、トヨタは2003年にほぼ同じサイズのウィッシュを発売して販売合戦で勝利した。
ホンダが2001年に前席の下に燃料タンクを設置して3列目の床を低く抑えたモビリオを発売すると、トヨタは2003年に、薄型燃料タンクで同様の効果を得る初代シエンタを発売している。売れ行きはシエンタが上まわった。
ホンダ以外でも日産が97年に初代エルグランドを発売して人気を高めると、トヨタは渾身の初代アルファードを開発した。そして2002年5月21日に2代目エルグランドが発売されると、翌日の5月22日に初代アルファードを発売して売れ行きを伸ばした。
このような周到な戦略で、トヨタは国内4輪車市場の30%少々、小型/普通車に限れば40〜45%のシェアを獲得していた。
ところが2000年頃から、トヨタのクルマ作りが変わり始めた。他社を執拗に追う傾向が弱まり、失敗も目立ち始めた。パッソセッテは、2008年に初代シエンタの後継として発売されたが、これが全然売れない。そこで一度廃止した初代シエンタを改良して復活させ、パッソセッテは廃止する異例の事態を招いた。