この記事をまとめると
■デビュー当時に強烈な印象をユーザーに残した初代モデルをピックアップ
■初代モデルということもありインパクトのある機能を搭載していた
■その後何代にも続く後継車種を生み出してきた
初代モデルが市場に与えたインパクトは絶大だった
『先駆けて』という車名を持つプリウスは、初代に大きな意味があった。
それまで、ハイブリッドという言葉の意味さえわからなかったとき、エンジン車の2倍の燃費性能を実現しようという壮大な目標のため、エンジンとモーターの両方を動力に使い、ガソリンタンクのほかにニッケル水素バッテリーを新開発して搭載し、これを5ナンバーの小型4ドアセダンの車体に搭載した。まさしく、他社に先駆けて、時代を切り拓く大衆車として初代プリウスは1997年に誕生した。
当初は、エンジンとモーターを併用する駆動力制御や、モーターがあることで実現する回生の制御に苦労した。また、外観の造形に好みが分かれることもあった。それでも、座席の作りは疲れを覚えさせず、トヨタ車でもっともすぐれた仕上がりといえ、目玉はハイブリッドだけではなかった。価格も十分に練られていた。
『人々(市民)のクルマ』という意味を込めたシビックの誕生は、単に所有者の心を満たすだけでなく、社会に貢献する1台としても意味ある大衆車だった。
いうまでもなく、世界で最初にアメリカの排出ガス規制を達成したCVCC(複合渦流調速燃焼方式)の採用が大きなトピックだった。のちに、シビックも含め後処理装置による排出ガス浄化へ移っていくが、クルマの製造では後発のホンダが大手自動車メーカーより先に排出ガス浄化を達成したことにより、シビックは歴史に名を刻む存在になった。
同時にまた、シビックは初代からRS(ロード・セイリング)を設定し、高性能を大衆車で味わえる場を設けた。その系譜は、現在ではタイプRに引き継がれているといえるのではないか。このことも含め、手ごろなガソリン車、環境対応、壮快な走りという車種構成での価値観は、初代から今日まで続くのである。
一般公募で車名が決まったマーチは、それまでの大衆車だったサニー同様、消費者の声が届いて生まれたクルマといえる。もちろん、クルマとしての性能は、のちにR32スカイラインの開発主管となり、GT-Rの復活も果たす、プリンス自動車出身の伊藤修令の主導によるものだ。外観の造形は、イタリアのジョルジェット・ジウジアーロの構想を基にしているとされ、同氏が腕を振るった初代VWゴルフに通じる明快さがあった。
エンジン排気量が1リッターのリッターカーとして実用性を重視するだけでなく、ターボエンジン車を設定し、なおかつRと名付けた競技用のベース車も用意された。Rで築いたターボチャージャーとスーパーチャージャーを併用するスーパーターボを市販することも行っている。
こうして、1982年の発売から10年におよび販売され続けた。しかし残念ながら、現行の4代目で姿を消すことになる。