この記事をまとめると
■乗用車部門から撤退したいすゞの乗用車のデザインが秀逸だった理由を考察
■ジョルジョット・ジウジアーロ氏などと手を組んでいたことが大きな理由のひとつ
■いすゞのデザインは当時から欧州チックで先進的だったのが今でも人気な理由の要因だろう
天才ジウジアーロが手がけたクルマが多数
1993年から順次乗用車市場から撤退、現在はトヨタグループとしてバスやトラックの専門メーカーとなっているいすゞ。しかし、いまでも同社の乗用車のスタイリングは高く評価されています。では、その理由はどこにあったのか、今回は好評だったいすゞデザインを振り返ってみましょう。
●カロッツェリアとの協業で生まれた名車たち
歴代いすゞ車の中で高評価といえば、天才デザイナー、ジョルジョット・ジウジアーロが手掛けたクルマたちがまず頭に浮かびます。
カロッツェリア・ベルトーネに在籍していたジウジアーロは1965年にギアへ移籍しますが、当時、トリノのモーターショー会場で出会った宮川秀之を通じ、積極的に日本メーカーとの接触を持っていました。その中にいすゞも名を連ねていたのです。
そのいすゞは、当時「フローリアン」の派生モデルを計画しており、ジウジアーロにこれを依頼。こうして「117クーペ」が誕生します。流麗でムダなラインのないボディ、実用性の高さを感じさせる広いガラスエリアに細いピラーなど、圧倒的な美しさをもつ2ドアは、1966年のジュネーヴショーに「いすゞスポーツ・クーペ」として発表され、大きな話題となりました。
もともとはフローリアンも、ジウジアーロが移籍する前のギアに委託したクルマなのですが、アメリカンなスタイルは大きな評価を得ることなく、117クーペの陰に隠れた格好になりました。その117クーペは1968年に正式発表となり、1981年の生産終了まで約8万台以上を売るヒット作となったのです。