F355で長年思い描いていた自分の夢がすべて叶った
フェラーリF355は、現代の水準からすると、あまり速くはない。デザインもスーパースポーツとしては保守的で、飛びきり美しいかどうかは微妙。いや、スーパースポーツとしては、極めて平凡なスタイルだ。
しかしF355のデザインは、スーパースポーツとして平凡であるがゆえに、誰が見ても揺るぎなく適度に美しい。サイズも小ぶりで、日本人の嗜好にピタリと合う。誰にでも愛される国民的美少女である。
F355は、飛びきり速くはない。けれど、昔風に言えばゼロヨン加速13秒強、最高速295km/h(そんなに出るのかわかりませんが)。これ以上速い必要があるだろうか? いや、これ以上速かったら、目がついていかない。私にとってF355は、十分すぎるほど速いクルマだった。
しかも、F355の3.5リッターV8エンジンは、奇跡的な美声を奏でる。それは”フェラーリサウンド”としか言いようがない、あまりにも普遍的な天使の歌声だった。排気量やエキゾーストパイプの太さなど、いろいろな要因が重なった結果の、単なる偶然と思われる。
さらに付け加えると。私の黄色いF355ベルリネッタは火を噴いた。全開フル加速、8500rpmでシフトアップ。アクセルを戻した瞬間、4本出しマフラーの外側2本から、わずか0.1秒ほどだが、大きなアフターファイアが吹き出した。子どもの頃、私は街行くクルマのマフラーにばかり注目していた。マフラーは、子ども心にはジェット噴射の噴射口。だから、マフラーの本数が多ければ多いほど、速くて凄いクルマだと思っていた。
その後、大人になってクルマはジェット噴射で走るものではないことを知ったが、それでもやっぱりマフラーは、本数が多いほど強くて逞しくてエライ! という潜在意識が消えることはなく、私は、自分のフェラーリで火を噴きながら走ることを、究極の男の夢としていた。
しかし、現実には火を噴くフェラーリといえばF40くらい。そんな財力はない。やっぱりムリだ。火を噴くフェラーリに乗るのは夢のまた夢。そう思っていた。
その夢がまさか、”もっとも平凡なフェラーリ”であるF355で実現しようとは!
メカニックは、「これほど火を噴くのは一種の故障だね。O2センサーいかれてるね」と笑っていた。火を噴くのは特殊事情だが、フェラーリF355は、もっとも平凡なフェラーリであるからこそ、これほど人気があるのである。
追記:F1マチック(セミAT)を搭載した355F1が1000万円以下で買えるのは、深刻なミッショントラブルの発生確率が高く、しかも直せない可能性があるため。
高いのは6速MTのみ!