ミウラと同じ4リッターV12エンジンをフロントに搭載
しかし、そのスタイルはフェルッチオも大いにそれを認めるところであり、それから1年後の1968年のジュネーブショーには、新たに「エスパーダ」の車名が与えられた4人乗りのハイパフォーマンスGTが出品される。エスパーダとは闘牛士が用いる剣のことで、以来一部のモデルを除いては、ランボルギーニは闘牛に関する車名を掲げ続けているのは周知のとおりだ。
実際にエスパーダのボディを見ると、フル4シーターを意識しただけに、その大きさは前後方向にも、あるいは横方向にもかなり大きなことがわかる。キャビンは後席へとVIPを迎えるには、通常の前ヒンジのドアを採用したことからやや不便になった感もあるが、実際にそこに着座してみれば、周囲に広がる空間はかなり広く感じる。使用されるレザー素材や装備類も当時の最上級のものが標準で備わり、オプションではテレビやミニバーの搭載もできた。それはまさに頂点を極めたGTだったのである。
マルツァルのリヤから、一般的なフロントへと搭載位置を変更したエンジンは、最高出力が320馬力となる4リッターのV型12気筒。これに5速MTを組み合わせ、後輪を駆動する。イスレロまで採用されていたマルチチューブラー構造が、このエスパーダではセミモノコック構造へと改められているのも、見逃してはならない技術的なポイントだ。参考までにエスパーダの初期モデルが可能とした最高速は245km/h。これは当時の4シーターカーとしてはトップクラスといってもよい数字である。
エスパーダはその後、1969年にはシリーズIIへと進化し、最高出力を350馬力に向上。1973年にはシリーズIIIにマイナーチェンジされ、ここでエスパーダの誕生で採用されたラック&ピニオン式のステアリングにもパワーアシストが装備された。アメリカ市場からの強いリクエストによって、クライスラー製の3速ATを組み合わせたモデルも追加設定される。
そして、最終モデルのシリーズIVでは、アメリカ市場向けには5マイルバンパーの装着が行われ、エスパーダは最終的に1978年まで生産が継続された。トータルの生産台数は1217台。それはランボルギーニにとって、十分に満足できる数字だったといえるのではないか。