この記事をまとめると
■ミウラの成功したランボルギーニの次なる狙いがフル4シーターのハイパフォーマンスGTだった
■ランボルギーニはプロトタイプのマルツァルをベースにしてエスパーダを開発、発売した
■ミウラと同じ4リッターV12をフロントに搭載した4シーターGTで1217台が生産された
ガルウイング式2ドア4シーターの斬新スタイルなマルツァル
ミウラの成功で、その名前が世界的に知られるようになったランボルギーニ。当時ランボルギーニが生産していたモデルは、メーカーとしての誕生からの血統を受け継ぐ400GTと、やはり2+2GTのイスレロ、そしてスーパースポーツのミウラというラインアップだったのだが、フェルッチオは販売が好調ではなかったイスレロの後継車としてハラマの開発を進めると同時に、最大のライバルであるフェラーリのラインアップには存在しなかった、フル4シーターのハイパフォーマンスGTを市場へと送り出すことを開発陣へと指示する。それは事実上400GTの後継車と位置づけられるモデルでもあった。
そのプロトタイプの製作は、後に生産型のデザインにも関係するベルトーネだった。そしてベルトーネが1967年のジュネーブ・ショーで発表した、そのプロトタイプともいえる「マルツァル」は、チーフ・スタイリストであったマルッチェロ・ガンディーニの手によって、きわめて斬新なスタイルへと仕上げられていた。
それはフェルッチオの要求どおりにフル4シーターのキャビンを持つものの、ドアは左右1枚ずつの、ほとんどがガラス製のセクションで構成されるガルウイング式で、パワーユニットはフレームをミウラのそれから延長したという事情もあり、リヤにV型12気筒エンジンの片バンクをカットした2リッターの直列6気筒エンジンを搭載するという、きわめて斬新なアイディアに満ち溢れたものだった。現在のランボルギーニにも継承されるヘキサゴンのデザイン・アイコンも、すでにこのマルツァルで採用されているのがわかる。
ショーでの評価は、その斬新性を理由に非常に高かったマルツァルだが、フェルッチオが望んでいたのはあくまでもハイパフォーマンスなGTであり、2リッターの直列4気筒エンジンでは、イメージする性能を実現することは不可能と考えられた。