この記事をまとめると
■国内自動車メーカー8社で最後発となるのが1963年に参入したホンダだ
■通産省が1961年に特振法案を示し、1963年までに自動車量産の実績を作る必要があった
■これに間に合わせるためにホンダが1963年8月に発売したのがT360だった
最初は日産につながる快進社で最後はホンダ
トヨタ、ダイハツ、ホンダ、スズキ、日産、マツダ、スバル、三菱自……、この8社を新聞などでは「国内自動車メーカー8社」「自動車大手8社」といった表現をすることが多い。現時点ではダイハツがトヨタの完全子会社になっていたり、トヨタの仲間となっているメーカーが増えていたりと、完全に独立した8社と言いがたい部分もあるが、自動車業界を代表・象徴する8社であることには変わりはない。
さて、自動車大手8社のうち最初の四輪自動車事業に参入したのは、どの会社かわかるだろうか。
日産自動車につながる快進社が1914年にDAT号を生み出したことが、自動車大手8社のなかでは最古の四輪車といえる。それに、つづくのが1917年に三菱造船が量産した「三菱A型」だろう。
トヨタ最初の四輪乗用車である「トヨダAA型」が量産されたのは1936年だから、この2社の四輪自動車のルーツはかなり古い。
それ以外のメーカーが四輪自動車事業をカタチにしたのは戦後の話になる。スズキ最初の軽四輪車「スズライト」の誕生は1955年。スバル・ブランドの始祖となる「スバル360」と、ダイハツ初の四輪トラックである「ベスタ」は、いずれも1958年に発売されている。意外にもマツダ最初の四輪車は新しく、軽自動車の「R360クーペ」が1960年に出たのが最初だ。
そして自動車大手8社のうち、最後に四輪車を量産したのがホンダとなる。1963年に発売開始となったホンダ初の量産四輪車は「T360」という軽トラながら、4気筒DOHCエンジンを積んでいたことは、いまも伝説的に語られている。
なぜ、ホンダが1963年に、本来はスポーツカー用に開発した高回転エンジンを載せた軽トラを出すことになったのか。そこには自動車業界に政策が大きくかかわってきたという歴史的経緯があった。