この記事をまとめると
■ポルシェの名を冠した初の市販スポーツカーが356だ
■356にはプレA、A、B、Cと呼ばれるモデルが存在し、細かい部分が異なっている
■ポルシェ356はドライバーの操作に忠実な非常に良質なスポーツカーだ
ポルシェの名が初めて与えられた市販モデル「356」
先日、ミツワ自動車が手元の事業ポートフォリオから、自動車整備業を7月いっぱいで整理する、と聞いて淋しく思った方も少なくないだろう。というのも、ミツワといえば空冷ポルシェ、いやいや空冷だけでなく、928から924、944や968辺りまでのFRポルシェでお世話になった、なーんて昭和~平成のクルマ好きにはお馴染みの老舗だ。そのミツワ自動車が1953年、日本にいの一番に輸入した初めてのポルシェが、911の直系祖先たる「356」なのだ。
356は何ぞや? という問いに答えるのは難しい。あえていえば、ポルシェの名を今でいう「ポルシェ」たらしめたモデル、というは易いが、「どの356?」という話になる。356をモノにして初めて、失礼を承知でいうが、かのフェルディナント・ポルシェ博士は戦前ドイツでブイブイいわせていた超腕利きエンジニアから、「ポルシェ」の創業者として記憶されることになった。
というのも356は、ポルシェの名を冠した初の市販スポーツカーとして1948年に世に出たが、当初の356は大量生産にはほど遠かった。戦後にポルシェ家の実家があるオーストリアはグミュントの納屋で、アルミボディを職人が叩いて作っていた。しかも今日、356/1と呼ばれる最初期の個体はRRではなくミッドシップで、続くお手製のアルミボディの49台が、356/2などと呼ばれたりする。
以上が「グミュント・クーペ」と呼ばれる時代で、これすら、ほぼプロトタイプ並の非効率的な作られ方だが、356のハードウェアとしての源流を探りだしたら1930年代、VWタイプ1をベースとしていたことは確かなので、タイプ12とかタイプ64といったプロトタイプに遡る。
やがて昔の顔で、博士率いるポルシェにフォルクスワーゲンからパーツが供給され、シュツットガルトでロイターというボディ工房にスチールボディ生産をアウトソーシングできるようになり、356は「プレA」と呼ばれる大量生産第一号モデルに発展。とはいえ毎年のように年次改良が細かに入って、三角窓が廃されるとか、キャブレターが大型化してエンジン出力とトルクが少しづつ上がったりしていた。
いずれグミュント時代は1.1リッターで40馬力程度だったエンジンは、1.3リッターや1.5リッターを加えて、マックス70馬力ほどまでに拡大された。かくして1955年には「356A」が、1959年には「356B」、1963年には「356C」に発展していく。