この記事をまとめると
■筆者が35年間アメリカに通うようになったきっかけを振り返る
■初めて乗ったアメ車は「プリムス・リライアント」であった
■日本車のアメリカ仕様との違いを観察するのも楽しみのひとつとしている
アメリカに通うようになったきっかけは「クルマに乗りたい」から
今年9月にアメリカ ミシガン州 デトロイトにおいて、“北米国際自動車ショー(通称:デトロイトショー)”が久しぶりに開催される。現状の日本及びアメリカでの新型コロナウイルスの感染状況や、お互いの国における出入国規制などをみると、約3年ぶりにアメリカを訪れてショーの取材ができると考えて準備を進めている(飛行機の燃油サーチャージ高騰と、アメリカ国内の物価高には少々参っているが……、それでも行くと決意した)。
筆者は大学3年の春休みに、初めて約1カ月半アメリカ本土をプラプラする旅に出てい以降、約35年経つが、今回の新型コロナウイルス感染拡大期など一時期を除けば毎年1回はアメリカを訪れ続け、社会人となってからは10日間ほどの滞在期間中にレンタカーで毎回4000㎞ほどのドライブ旅を楽しんでいる。そして、今回もショー取材が終わったあとは、ロサンゼルスへ立ち寄り休暇もかねてドライブ旅行を3年ぶりに行う予定としている。ここ数年は、デトロイトショー、ニューヨークショーそして休暇も兼ねたロサンゼルス旅行と年3回ほどアメリカを訪れていたので、どこかルーティンワーク状態のようになっていて、アメリカを訪れることができる“ありがたみ”をあまり感じなくなっていたのだが、今回は久しぶりということもあり、まさに“初心に戻った”感じでワクワクした気持ちとなっている。
そもそも、大学生の時にアメリカに行こうと決意したのは、“アメリカでクルマを運転したかった”、それだけであった。クレジットカードを持っていれば21歳からレンタカーを借りることができたので、21歳になった大学3年生の春休みに計画を実行した。
サンフランシスコを皮切りに、ニューヨーク、マイアミ、キーウエスト、ラスベガス、グランドキャニオンなどをまわり、最終訪問地をロサンゼルスとし、滞在日数もたっぷりとり、レンタカーをひたすら乗り回していた。
アメリカで初めてステアリングを握った記念すべきモデルは、日産セントラ(サニー/トラッドサニーと呼ばれた6代目)であった。経済的事情もあったが、まずは“慣れた日本車で”という気持ちもあり日本車の多いサブコンパクトクラスを選んだ。