ぶっちゃけ持ってるだけでもいいんです!
じゃ現在はどこを走っているかというと、私の場合はほとんど首都高である。首都高の渋滞は劇的に減少しており、とくに日曜日は丸一日、ほとんど渋滞が発生しないどころか、極めて快適に走ることができる。都心のビル群や東京タワーを眺めながら、最高のドライブができる。
かつてクルマ好きが「首都高を走る!」といえば、深夜と相場が決まっていたが、年齢的にも夜更かしがムリになっているし、渋滞していないのなら昼間のほうがいい。夏を除く天気のいい日曜日に首都高を一周して大満足、というのが近年のパターンだ。
途中、首都高の辰巳PAに立ち寄ると、私の同類のような人たちがかなりいる。昼間はだいたい「おひとりさま」で、夜は仲間が集まっているケースが多い。
現在、スーパーカーの使い道の主流は、こういった「ちょっと走りに行って、場合によっては仲間と集まってだべって解散」というパターンだろう。同じフェラーリでも、大衆はだいたい大衆同士集まり、富裕層は富裕層同士で集まる。
人間は常に同類と群れるのである。
富裕層の集まりの場合は、ステキなランチ付きのケースが多い。台数は数台程度か、多くても10台くらいだろうか。私は大黒PAには滅多に行かないが、あちらはPAが大きい分、集まる台数も多くなるようだ。
あとは、年に1~2回の大きなイベントへの参加。これで全部というのが一般的なパターンだ。
自分が高齢化したので、私の周囲のオーナーたちも高齢化している。高齢化すると、フェラーリに乗る機会はどんどん減る。私はそれでも年に8回くらいは乗るが、「年に1回乗るか乗らないか」という人も少なくない。つまり、もうほとんど持っているだけ。そりゃスーパーカーを見かけなくなるってもんだ。
「それで意味あるんですか?」と思うかもしれないが、大いに意味はある。フェラーリを持っていればフェラーリオーナーだが、フェラーリを手放せばただの人。この差は大きい。男の勲章が欲しい間は、乗らなくても所有し続けたいと願うのだ。
しかしいずれは、「もう男の勲章もいらない」という時がやってくる。誰でも死ぬときは身ひとつ。勲章は記憶だけでよくなる。なんだかしんみりしてくるが、個人的には、これまでフェラーリを13台、カウンタックを2台乗り継いだので、人生に一片の悔いなし! 最高の人生でした。ありがたくて涙が出ます。