日本の至宝「クラウン」はなぜ海を渡らなかったのか? そして新型がついに海外に本気で挑む理由とは (1/2ページ)

この記事をまとめると

■初代クラウンはアメリカで販売されたが失敗に終わった

■それ以降15代目までは国内専用車という位置づけ

■16代目となる新型はグローバルモデルとして大きく立ち位置が変わった

初代はアメリカで発売されたが残念な結果に

 1960年代の日本のマイカーブームの遥か前、1955年に初代がデビューした、日本車初の純国産車と言えるのが、トヨタ・クラウンだ。以来、カローラ、ランドクルーザーなどとともに、トヨタの基幹車種、最上級車としての道を歩み続けてきたトヨタの代表車種である。

 初代登場の翌々年の1957年、早くもアメリカの現地法人、米国トヨタ自動車から発売されたものの、当時は日本車と自動車先進国のアメリカでは技術的な差が大きく、はっきり言って、当時のアメリカ進出は失敗に終わっている。

 だからというわけではないが、以来、クラウンは日本の、トヨタの高級車、オーナーセダンとして最適な、主に日本専売車としての歴史を重ねてきたことになる。たとえば、日本の気候、速度域、駐車環境(だから15代目までは全幅1800㎜を貫いてきた)にぴたりと合わせた快適性や使い勝手がクラウンらしさであり、そこに共感するロイヤルカスタマーと呼ばれる、歴代クラウンをなんのためらいもなく乗り換え、乗り続けるユーザーを獲得してきたのだ。

 ゆえに、各国の要望、趣向、サイズ感、安全基準などを考えると、輸出(主にアメリカ)に注力することは難しい。輸出仕様を念頭に開発すると、それこそ、日本において中途半端なクラウンになってしまい、日本のロイヤルカスタマーに許されるはずもない。そもそも国産上級セダン勢たちが、販売を取りやめ、欧米から撤退する動きが広がっている今日、この頃なのだから。トヨタにしてみれば、アメリカにはカムリがあり、販売は絶好調。そこにあえてこれぞ日本の高級セダンという成り立ちのクラウンを投入するまでもないと考えてきたのも当然ではないだろうか。

 が、クラウンの牙城、日本国内に目を向けても、近年のクラウンは、12代目のゼロクラウン(2003-2008年)あたりでは大いに盛り上がったものの、レクサスの存在、ミニバン、SUVブームの到来もあって、販売は低迷。

 VIP御用達車がいつの間にか、クラウンやレクサスLSから黒塗りのアルファードに置き換わっていることも、その証である。

 とはいえ、豊田章夫社長以下、トヨタの全社員にとってクラウンは特別な存在であり、その流れを絶やしてはいけないという想いは特別に強いはずである。


青山尚暉 AOYAMA NAOKI

2024-2025日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
フォルクスワーゲン・ゴルフヴァリアント
趣味
スニーカー、バッグ、帽子の蒐集、車内の計測
好きな有名人
Yuming

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