初めはパートタイム式4WDだった
もっとも、スバルにおける最初の四輪駆動はパートタイム式だった。
それが1972年9月にローンチされた「レオーネ4WDエステートバン」である。バン(商用車)なので、厳密には乗用車とはいえないが、レオーネワゴンのボディ形状であったことから日本初の乗用タイプの4WDといわれるエポックメーキングなモデルだ。
この当時は、まだセンターデフや電子制御といったものはなく、トランスファーレバーでFFと4WDを切り換えるパートタイム式を採用していた。そもそも、当時のスバル車は水平対向エンジンを縦置きにしたFFアーキテクチャが基本となっていたのだ。
水平対向エンジンの後ろにトランスミッションを置くというスバル伝統のレイアウトから、トランスミッションにプロペラシャフトを生やしてリヤデファレンシャルに駆動力を送れば4WDにできるという発想が生まれ。それがレオーネ4WDにつながったのは、スバリストと呼ばれる熱心なファンでなくともよく知られている話だろう。なお、最初のレオーネ4WDではリヤデファレンシャルの一部を日産ブルーバード(当時はFRだった)から流用していたというのも有名なエピソードだ。
そうしてスバル独自のパワートレインが4WDと相性が良かったことで、徐々に4WD比率は高まっていったというわけだ。レガシィGTやインプレッサWRXといった2.0リッターターボモデルと4WDの組み合わせは、スバル・ブランドにオンロードで気持ちよく走れるスポーツ4WDというカテゴリーでのパフォーマンスイメージを与えるようになっていった。
こうして4WDが欠かせないものになっていく流れにおいて、前述したように常時全輪駆動がスバル4WDのアイデンティティとなり、左右対称でバランスのよいレイアウトも含めて、シンメトリカルAWDいうコアテクノロジーにつながった。
さらに世界的なクロスオーバーSUVムーブメントによって、レガシィアウトバック、フォレスター、XVといったSUVラインアップの存在感が増していった。こうした背景が結果としてスバルのAWD比率を高めていったのだ。