この記事をまとめると
■かつてトヨタと日産の新車販売台数争いは「TN戦争」といわれるほど激しかった
■日産のプロダクトアウトに偏った戦略が経営難を招き車種縮小を余儀なくされた
■今日の日産は、歴史に学ぶのか、それとも歴史は繰り返すのか、まさに分岐点にあると感じる
昭和40〜50年代に勃発した「TN戦争」という覇権争い
かつて日本の自動車市場を語るのに「TN戦争」という言葉があった。言うまでもなく、Tはトヨタ、Nは日産を示すもので、両社がフルラインアップ状態で全面的なライバル関係にあったからこそ生まれた言葉だ。
それほど互角なライバルだったのも今は昔。2021年度における国内での販売台数でいえばトヨタが約137万台なのに対して、日産は約39万台でしかない。しかも、この台数は軽自動車を含めたものであり、仮に軽自動車を除くと、トヨタが約133万台、日産は約22万台と110万台以上の差をつけられているのだった。
そもそも軽自動車を合わせた販売台数でいえば、50万台を超えるホンダやスズキ、ダイハツといったブランドにも日産は大差をつけられている状況であって、トヨタのライバルと呼ぶのもおこがましい状態になっている。
参考資料:2021年度の新車販売台数
登録車+軽自動車=合計販売台数
トヨタ:133万3533台+3万4758台=136万8291台
スズキ:8万9811台+47万0498台=56万309台
ホンダ:27万2361台+28万7470台=55万9831台
ダイハツ:3万6871台+50万6436台=54万3307台
日産:22万8337台+16万1747台=39万0084台
実際、新車ラインアップの車種数で見ても、トヨタは40車種以上で、レクサスも合わせると50車種に迫る勢いとなっているが、日産は20車種程度しかない。
かつてはトヨタ・ランドクルーザーに日産サファリ、トヨタ・カローラに日産サニーなどのライバルを用意していたが、そうしたカテゴリーはいまやトヨタが独占状態になっている。日産にあってトヨタにないモデルはGT-Rのようなスーパースポーツくらいだろうか。
なぜ、ここまで日産は縮小してしまったのだろうか。
企業戦略をひとことで断じるのは難しく、誤解も招くが、あえて結論として断言すれば「日産はプロダクトアウトに偏りすぎた」といえるだろう。
日本の自動車メーカーとしてトヨタと日産が二強と見られていた時代、クルマ好きは「販売のトヨタ、技術の日産」と称していた。専門用語でいえば、トヨタはマーケットイン、日産はプロダクトアウトということだろうか。「トヨタが売れているのは販売力によるものであって、自動車としての出来映えは日産がリードしている」という風に、当時の自動車ファンは感じていた。
日産の技術力が優れているというファンの印象は、多分に日産のブランディングの効果によるものでもあったが、そうした企業イメージは日産の商品戦略においては必ずしもプラスとはならなかったという印象がある。
あくまでブランドイメージとしての「技術の日産」であればよかったのだが、ある頃から作り手がユーザーの顔を見ずにクルマを作るような負のイメージを、この言葉は示すようになる。
結果として、技術者の独り善がりでユーザーが求めていない商品が増えるようになる。伝説的に語られる8代目スカイライン(R32型)にしても、じつはビジネス的には成功していない。
実際、1990年前後でいえば4ドアセダンであればコンパクトで走りのいい直列6気筒+FRのパッケージより、後席の広いV6+FFのほうが求められた。同時期のライバルでいえば三菱ディアマンテが大ヒットしたことがユーザーニーズを示している。もっとも、そのカテゴリーにも日産はマキシマというセダンを用意してはいたが、リソースが分散してしまった感は否めない。