近頃のスーパーカーは完璧すぎてちょっと寂しい
モデナに関しては、何度かホイールも交換したし、サーキット走行中に油温が上がることから、ワンオフでオイルクーラーを付けたり、ブレーキをチューンしたり、そこそこのカスタムを行ったが、すべては「愛車をちゃんとしたクルマに仕上げたい!」という、激しい情熱の成せる技だった(最終完成形はかなり地味)。
といっても、こんなことをやるオーナーは滅多にいない。多くのカスタムは見た目優先で、性能なんてあまり考えてない。カスタムというのは基本的にそういうもので、それはそれでいいのではないか? 個人的には、ギトギトの改造は趣味じゃないが、あくまで個人の趣味の問題。前述のように、人にどうこう言われる筋合いじゃない。
スーパーカーをカスタムすると、下取りが下がってしまうという現実は確かにある。個人の趣味でギトギトになったスーパーカーは、夜の世界に身を落としたような香りが漂う。ただ、人気のあるファクトリーによるコンプリートカーならば、一定のファンはいるので、値段が下がらないケースもある。
しかしそれも、20世紀製あたりまでだろうか? 21世紀以降のスーパーカーは、最初から性能も武装感も十分だし、メーカー純正のカスタマイゼーションプログラムも充実。個人が後付けでカスタムする余地は、どんどん狭まっている。私も458イタリアには改善する余地をまったく見つけられませんでした。
ただ個人的には、人生を捨てる覚悟で手に入れたフェラーリなどのスーパーカーを、そのまんまツルシで後生大事に乗っていてそれでいいのか!? という思いはある。何か多少は、自分好みの色に染めたくはないだろうか。
私の場合、初期型348tbと360モデナという、設計段階で欠陥のあるモデルに出会ったことで、その欲望が全開になり、「まともに走るようにするカイゼンカスタム」に心血を注ぐことができて、とてもシアワセだった。その余地がまったくないスーパーカーは、「買って乗るだけ」しかできないので、なにかちょっと寂しい。
現在所有するフェラーリ328の場合、ホイールを変えただけで、ものすごく下品になってしまったりする。だからいじる予定はゼロ。
現状で300%満足しているが、それは、加齢による欲望の「枯れ」による部分が大きい。