フェラーリを負かしてル・マン24時間レースで連覇
ル・マン24時間レースのテストデイを経て、ニュルブルクリンクの1000kmレースで実戦デビューを果たしたフォードGTは、ついに1964年のル・マンに3台がエントリー。しかし、このもっとも過酷な24時間レースの前に、初参加のフォードGTはさまざまなトラブルに見舞われ、フェラーリが1-2-3フィニッシュを飾る一方で、全車がリタイヤという屈辱的な敗北を喫したのだった。ちなみにこのとき、ミッドに搭載されていたエンジンは、フェアレーン用の4.2リッターV型8気筒OHVをベースとするものである。
翌1965年のル・マン24時間レースに向けての準備は、やはり4月のテストデイでフェラーリの330P2にまったく対抗できないという事実を知らされることから始まった。レースパートナーはあのシェルビー・アメリカンに代わり、ロングノーズを採用することでさらに空力特性を改善。そして何より、ミッドに7リッターのビッグブロックエンジンを搭載するという2台のワークスマシン、そしてプライベーターから参戦した4台のスモールブロックマシンを擁するという陣容で臨んだ24時間レースは、ポールポジションこそフォードが獲得したものの、やはり完走できたマシンはゼロ。2年連続で打倒フェラーリの夢は叶わなかったのだ。
フォードはさらに1966年のル・マン24時間レースに向けてフォードGTの改良に取り組んだ。ミッドのV8エンジンは同じビッグブロックの7リッター仕様だが、これはより耐久性の高い、プロダクションモデルのギャラクシーなどのそれをベースとしたもの。このモデルは「フォードGT Mk-II」と呼ばれ、同時に従来の4.2リッターモデルはホモロゲーションを得るために50台を生産、「Mk-I」として生産されることになった。GT40というニックネームが頻繁に聞かれるようになったのは、この頃からのように思う。
1966年のル・マン24時間レースは、あたかもフォードによる物量作戦といった雰囲気だった。8台のMk-IIに5台のGT40。レースはやはり厳しい戦いとなったが、最終的にはフォードはここで1-2-3位を独占。翌1967年には前年に続く勝利を目指して、Mk-IIの改良型であるMk-II Bを投入。同時にニューモデル、Rの「GT-IV」のデビューも果たしている。そしてフォードは見事にル・マン24時間レース2連覇を果たしたのだった。
1968年、レギュレーションの変更によって、ビッグブロック搭載マシンの参加が不可能になってしまったフォードは、GTシリーズによるル・マン24時間レースへのワークス参戦を中止。フェラーリも同様にこの年のル・マン24時間レースをボイコットしたこともあり、レースはプライベーターのジョン・ワイヤ・オートモーティブが製作した4.7リッター仕様のGT40が、ポルシェの907や908と戦う構図となったが、ここでもフォードは見事に勝利。ル・マン24時間レース3連勝をもたらしたのである。
フォードの歴史において、GTはサーキットにおいてもオンロードにおいても、特別な存在であることはこの一連のストーリーを振り返れば誰もが認めるところ。21世紀になってリメイクされた現代のフォードGTについては、また別の機会に話を譲ることにしよう。