カウンタックはスーパーカーの中でも別格だった
が、フェラーリに慣れてくると、そういった謙虚な気持ちは徐々に薄れ、注目されることに慣れてくる。そして、周囲の人がこっちを見てくれないと「なんで見ないんだよ!」「オレ(のクルマ)を見ろ!」という気分になってくる。
※写真はイメージ
もちろん注目されるのは自分ではなくクルマだが、なにせ愛車はスター(のはず)なので、「人に見られて当然」「見ないのは失礼だ」くらい思うようになるのである。
そのようにして、私は徐々に尊大になって行ったわけですが(汗)、途中で一時カウンタックに乗り換えたときは、それまでのフェラーリでの経験は何だったんだ……というくらい、ケタはずれの注目を浴びてショックだった。
すでに時代は完全にクルマ離れしており、スーパーカーとしては地味で上品なフェラーリは大して注目されなくなっていたが、カウンタックのスター性はウルトラ絶大で、クルマにまったく興味がないような老人やオンナ子どもを吸い寄せる。カウンタックが止まっていると、隣に何台フェラーリがいても、老人や子どもには「フツーのクルマ」にしか見えないらしく、全員がカウンタックだけに集合する。ママはお子さまに「〇〇ちゃん、絶対触っちゃダメよ!」と叫び、老人は「これ、いくらするんだい?」と尋ねる……といったお祭りになる。
※写真左の西川淳氏は原稿内容と一切関係ありません
なにはともあれ、人に注目されるのは快感だ。SAやPAでドアを開けたまま止まっているスーパーカーがいたら、注目されるためにやっていると思って間違いない。いや、オーナーにしてみれば、「みんなを喜ばせたい!」というサービス精神なのだ。自分(のクルマ)を見て人が喜んでくれるのって、本当にうれしいものなのです。
ただ、サービス精神が旺盛すぎて、そこで空ぶかしまでやってしまうのは、厳に慎みたいものである。