「ポルシェとは」と聞かれたら「研究所」と答えるのが正解! 単なる自動車メーカーじゃないその姿とは (2/2ページ)

356を売っている時代からレース参戦に注力

 残念ながらポルシェ博士は356の次に誕生した希代の名車911を目にすることなく没していますが、この911こそ息子のフェリーや、孫のブッツィ、そして元フォルクスワーゲングループの総帥フェルディナンド・ピエヒといった「研究所」の主要メンバー(であり、ポルシェ一族)によって作られたもの。つまり、博士が遺したレガシーと呼んでも差し支えないでしょう。だいたい、クルマのネーミングに設計番号をあてこんでいる時点でマスタングやセリカといった車名をつけるメーカーとは趣が大いに異なっていますよね。

 ただし、ポルシェにしても「クルマが売れる」という成果に対しては貪欲で、そのためには「レースに勝つこと」が手っ取り早いと、356を売っている時期から気づいていたようです。「カレラ・パナメリカーナ・メヒコ」や「ミッレ・ミリア」、あるいは耐久レースの頂点「ル・マン24」といったメジャーレースへの社内チーム(ワークス)参戦に加え、カスタマーチームや草レースのユーザーにさえ便宜を図ったのでした。結果はご存じの通り破竹の勢いで勝利を重ね、狙い通りの成果を得ることに。

 そして、ポルシェはレースを広告塔として考えるとの同時に「開発環境」と捉えていたことも見逃せません。レースからのフィードバックを市販車に活かしたのは、やはりポルシェが先鞭をつけていたのではないでしょうか。映画「フォード vs フェラーリ」で、ヘンリー・フォード二世は「クルマを売るためのレース参戦」を目論み、見事フェラーリに勝利するもののGT40のテクノロジーが市販車にフィードバックされたかどうか寡聞にして筆者は知りません。

 一方のポルシェはターボ(917/30)やニカジルコーティング(917)などレースで実証された技術を市販車にも採用。しかも、それらを設計・開発していたのは、ヘルムート・ボット、ハンス・メッツガー、はたまたノルベルト・ジンガー(当然、全員が博士です)といったフェリー・ポルシェ博士の薫陶を受けた「ポルシェの頭脳」と呼ばれた面々です。それゆえか、964に初めて搭載されたオートマ「ティプトロニック」のいささかクセのある味付けも「ポルシェの頭脳を乗りこなす」などと表現されたことがありましたっけ。

 また、ご存じない方もいるでしょうが、「研究所」たるポルシェは他メーカーからの依頼による技術開発にも積極的に携わっており、その利益は総売り上げの10%に及ぶともされています。およそ、ポルシェと関係(取引)のないメーカーの方が少ないくらいなので、もしかするとアナタの愛車にだってポルシェの息がかかっている可能性も大いにあるのです。

 こうした背景をもとに歴史を重ねてきたポルシェですから、クルマという領域にとどまることなく、一般的な「ブランド」という地位を築き上げたのではないでしょうか。でなければ「ルイ・ヴィトン」や「シャネル」のように、クルマを知らない女の子がつぶやくものでもありますまい。クルマの良し悪し? それは「研究所」が作ったもの以上でも以下でもありません。シャネルやディオールの良し悪しを気にする女の子がいないのと同じ理屈、といったらフェルディナンドやフェリーに失礼かもしれませんがね。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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三菱パジェロミニ/ビューエルXB12R/KTM 690SMC
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