かつてはプーチン大統領もZAZに乗っていた
ZAZは独自のR&D機能を有するコンストラクターというより、旧ソ流に技術と図面は上から降ってくるもので、計画生産をこなすファクトリー・メーカーの側面が強かった。コンパクトな965に続いて1966年にはセダンである966を送り出し、オリジナルのボディワークを強調したものの、NSUプリンツやヒルマン・インプ、シボレー・コルベアにそっくりといわれた。エンジンはMeMZ965の進化版、MeMZ966Aという887cc・30馬力仕様を積んだが、966はベネルクスやオーストリアなど旧西側諸国でも発売され、ルノー8起源の965ccエンジンを搭載していた。
ちなみにロシアのプーチン大統領は、初めて手に入れた車が966のフロントグリルを簡素化し内装を少し豪華にした進化版、968の1972年式であると、外交の場でアメリカのブッシュ元大統領に03-07AEXのナンバーを付けた個体を披露したことがある。968は1994年まで生産され続けた。
1970年代半ばにZAZは初のFFコンパクトカー開発に着手するも、完成車として世に出たのは1987年、パリサロンで旧西欧でお披露目されたのは1990年だった。これがZAZ1102ことタフリアで、水冷の直4・1.1リッターで53馬力のMeMZ245エンジンを搭載し、5速MTを組み合わせていた。当時の市場でもっとも安い一台となるはずの野心作だったが、先行するラーダ・サマラやモスコヴィッチ・アレコといった旧ソ連邦内の他地域メーカー製のハッチバックと、西側でのインポーターが一緒で、ブランド戦略としてラーダ名にまとめられたりしたため、同一視されやすかった。
実際、ラーダはアフトヴァースとして、今日ではルノー日産グループの一部となったが、ZAZは1998年より韓国デーウーと提携し、ラノス、ヌビラ、レガンザというラインアップごとOEM生産に入った。だが、デーウーのスキャンダルを受け、同じGMグループ内からオペル・コルサ、アストラ、ベクトラ、あるいはGMアヴェオへと生産車種を替えたものの、ここ数年はクリミア危機やウクライナの経済危機の影響で操業を停止している。
旧ソ連内におけるロシアとウクライナ含む周辺諸国の分断の構図は、そのまま自動車業界にも影を落としているのだ。