トヨタの紙カタログ廃止で収集マニア阿鼻叫喚! 販売現場の本音をディーラーに直撃した (2/2ページ)

海外に行った際は現地のカタログを集めるのが楽しかった

 筆者の経験では、コロナ禍前にロサンゼルス及びその周辺を訪れた時には、すでにホンダはラインアップを紹介する紙ベースの総合カタログのようなものは存在していたが、個別車種の紙カタログは廃止されていた様子であった(トヨタは当時まだ個別車種の紙カタログが存在していた)。

 筆者がカタログ収集をはじめたのは小学2年生の時。当時父親は総務の購買担当部署で働いていたのだが、会社で使う車両の購入検討をする時に使ったカタログ(社用車なので日野レンジャーやトヨタ ハイエースバン、同ハイラックス、日産サニートラック、トヨタ センチュリー、同クラウン、日産セドリックなど商用車か高級セダンばかりだった)を廃棄するので整理した際に、手提げ袋にその廃棄予定のカタログを当時からすでに“クルマオタク”だった筆者へお土産として持って帰ってきてくれたのが始まりだった。当時は自宅にマイカーはなく、カタログという存在自体知らなかったので、舞い上がって喜んだのをいまも鮮明に覚えている。

 その後筆者の家でもマイカーを所有するようになり、新車へ乗り換えるたびなどに父親と新車ディーラーを訪れてはカタログを集める日々が続いた。ボロボロになるまで毎日のように読み込んでいたので、コレクションというよりは単に集めて読み漁っていたといったほうが適切かもしれない。

 中学生や高校生になると、友人と一緒に自転車でディーラーが密集して集まっている“ディーラー街”へ行ってカタログを集めていた。運転免許も取れない年齢なので、“冷やかし客”なのは明らかなので、本カタログ(本物)ではなく、薄い簡易型のAカタログ(Aはアプローチの意味)しかもらえないことも多かったが、それでもカタログをもらいにディーラー街へはよく行っていた(いまも出かけているけど)。

 筆者はカタログ巻末のグレード別に内装写真なども多く掲載された一覧を見るのが大好きである。昔のクルマはスタンダード、デラックス、GL、SEなどとグレード数も多く明確な装備差もあったのでその違いを比較するのが楽しみであった。ただ、いまどきのクルマは明確なグレードを設けない車種もあったり、グレードがあっても一覧を装備差だけに絞り込み簡略化して掲載しているケースが目立つので、その意味では筆者にとっては“つまらないもの”となってきていた。

 大学生となり、約35年前に初めて卒業旅行でアメリカを一周旅行へ出かけ、ロサンゼルスでレンタカーを借りて乗りまわしていた時に、日本から日本車のカタログを持っていき、サンタモニカ近くにあるトヨタ系ディーラーを訪れて、「カタログ交換しよう」と持ち掛けたことがある。門前払いされるかと思いきや、ゼネラルマネージャーはじめセールスマン全員が出てきて大歓迎を受けながら、当時はまだ日本でデビューしていなかった、初代エスティマ(北米名プレビア)も含め、たくさんのカタログをもらうことができた(アメリカではセールスマン個々でカタログを管理しているケースもあったりして、語学力に疎い筆者としてはカタログをもらうのはハードルが高かった)。

 これで味をしめたわけではないが、いまでは毎年ロサンゼルス近郊の決まったディーラー(カタログがもらいやすい)へ行ってはカタログを集めているし(ロサンゼルス国際空港近くのディーラー街では似たようなことをしている日本人が多いようでガードが固い)、仕事でアメリカ以外の国へ行った時にも、積極的に現地ディーラーを見学させてもらい、そこでカタログをもらっている。いまでも、カタログが置いてある棚を見ると反射的に、置いてあるすべてのカタログを棚から抜くようになってしまっている。

 紙カタログがなくなるのは日本だけでなく、世界的に同じ流れといえよう。収集している身としては寂しいが、これも時代の流れとして受け入れるしかないようだ。ただ、スーパーのレジ袋と同じように、希望者には有料で配布するとして紙カタログを残して欲しいとする声が、すでに筆者周辺のカタログ収集家から出ている。是非原則廃止で構わないが、有料配布という方法も用意してもらうことを検討していただきたい。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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愛車
2019年式トヨタ・カローラ セダン S
趣味
乗りバス(路線バスに乗って小旅行すること)
好きな有名人
渡 哲也(団長)、石原裕次郎(課長) ※故人となりますがいまも大ファンです(西部警察の聖地巡りもひとりで楽しんでおります)

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