街は「六本木のカローラ」で溢れかえっていた
もっと一般的な話をすれば、1980年代半ばには自動車電話100型と呼ばれる携帯電話=ショルダーホンが登場。これを肩に下げ、片方の手にはルイ・ヴィトンのバッグ……といった輩も増殖。87年には弁当箱のような初の携帯電話が登場したのだが、初期費用約7万円、保証金10万円という値段だった。それが若者を含め、バブル時代には普及したのだから、いったいどっからお金が出てきた……? と、今でも不思議に思ったりする。
もちろん、自動車電話を買えない人たちもいたわけだが、それでも「見栄」を張る方法があり、自動車電話のアンテナだけクルマのトランク端に取り付けるブームも沸き起こっていたと記憶する。ちなみに、コンパクトなアナログ携帯電話はこれまたバブル絶頂期の1991年「NTTムーバ」として発売されている。注文が殺到し、納期半年待ちなど当たり前であった。新規加入料金約5万円、保証金10万円、月額基本料金1.6万円(通話料別)にもかかわらず、だ。それを見せびらかすために、クルマの運転中、開けた窓から肘を出し、これ見よがしに通話(実際には通話していなかったかもしれない)していた輩も多かった。
また、バブル期を象徴するカーアイテムとして、リヤトレーに置くスピーカー(カロッツエリアや輸入オーディオメーカー品)やグラフィックイコライザー付きのオーディオユニット(ケンウッドなど)も大流行。リヤスピーカーの中にはイルミネーションで光るスピーカーもあった。
超高額車以外にも、1990年に三菱が北米向けに作っていたほぼアメリカ車のエクリプスを逆輸入したり、シーマやセルシオに続けとばかり、マツダも豪華極まるラウンジ感覚の内装が自慢のペルソナを発売したりと、日本の自動車メーカーもまた、バブルに乗った攻勢をかけていたのである。
500万円級のBMW3シリーズが「六本木のカローラ」と呼ばれ、東京の夜の街に、メルセデスベンツ190Eとともに大衆車的に溢れかえっていたのも本当である(筆者もうっかり買ってしまった)。
そんなバブルも、シャンパンの泡のように、1991年3月には崩壊。景気は一気に後退することになる。泡なのだから、いつか消えることは当然とも言えたのだ。バブルのツケとして地価は下落、不良債権の拡大、雇用の減衰、ローン地獄など、様々な問題を抱えることになったのである。とはいえ、自動車界でF40やNSX、そしてセルシオやシーマなどに象徴されるバブル期を謳歌した50~60代のクルマ好きにとっては、甘くもほろ苦い思い出に違いない。あんな時代は二度とこないだろう。