この記事をまとめると
■カロッツェリアとして有名な「ザガート」は創業から100年以上の歴史を誇る
■過去には日本車をベースにしたモデルもリリースしている
■クルマだけでなくバイクや双眼鏡、腕時計などさまざまなものづくりに関わっている
アイコニックなデザインは市場とサーキットで大ウケ
数あるイタリアン・カロッツェリアのなかでもザガート(イタリア読みだと「ツァガート」)ほどネタにあふれたブランドはありません。なにしろ創業から100年以上の歴史を誇り、日本に法人まで作られたことさえあるのです。ザガートを知れば、たいていのスペシャリティカーのことがわかり、カロッツェリアってなにやってんのかが理解できること請け合いです。
創業は、ウーゴ・ザガートという苦労人によって1919年になされました。彼は、ドイツで金属加工業に出稼ぎした後、イタリアに帰るとこれまた航空機メーカーで金属加工に従事。この際、軽量仕上げについて手ごたえを得たようで、ミラノで自身のカロッツェリアを設立。さっそく当時のイケイケメーカーたるアルファロメオと密接な関係を築き上げたのでした。
で、初期の仕事は特別な顧客向けの特別なボディづくり。カロッツェリアの基本中の基本です。たいていはアルミを板金して、一般市販車とは異なったデザインの車を製作し、より軽量でレースやスポーツ走行に適したクルマの製作でした。なお、1960年にはイタリアの優れた工業製品に贈られるコンパソ・ドオーロも受賞。”ちょっと見栄えのする板金工房”だけでないことが公式に認めらた、という証でしょう。
1960年代に入り、エース級デザイナーのエルコーレ・スパーダが入社すると、ザガートは黄金期というか現在でも語り継がれる伝説的なモデルを多数リリースしました。もっとも親密なアルファロメオからはTZやSZ、特別な顧客を数多くつかんでいたアストンマーチンからはDB4GT ZAGATO、同様のメイクスとしてランチアからもフルヴィア・スポルト・ザガートなどなど。いずれも、アルミ板金技術とザガートらしいアイコニックなデザインによって市場とサーキット双方から大絶賛をうけたのです。
ちなみに、ザガートでもっとも有名なスタイルはクルマのルーフが乗員のヘッドスペースをかせぐよう膨らんだ「ダブルバブル」でしょう。これはスパーダでなく、ウーゴのアイディアともいわれています。
スパーダが1969年に退社(その後、1992年から再びザガート)すると、カロッツェリアのブームも去ってしまったかのようにパッとしなくなります。少しザガートからズレますが、各カロッツェリアで腕を振るったデザイナーたちが自動車メーカーに破格の高給で引き抜かれ、市販車のボディまるごと載せ替えるような特別な顧客が減ったこと、あるいは市販車の構造そのものが進化してカロッツェリアの出番が少なくなったことなどが理由かもしれませんね。