旧車とチューニングはポピュラーではなかった
レースも老若男女問わず、サーキットに詰めかけて、社会現象&社会問題にもなったりした。今ではクルマ趣味のひとつと言っていいが、社会的に関心が高かった証拠として、大きなレースとなると各メーカーが「いよいよ今日決戦」的な新聞広告をこぞって出したというのはあるだろう。もちろん市販車を売るためで、実際ハコスカはレースの活躍もあって、月販2万台も売れていただけに、メーカーとしても力が入って当然だ。最近盛り上がっては来ているラリーにしても現在の比ではなく、過酷すぎるとして有名だったアルペンラリーなどに各自動車メーカーがワークス体制で参戦したのもいい例だろう。
当時ポピュラーでなかったのは旧車とチューニングで、旧車は当時からすると趣味の対象でなかったし、そもそも対象となる車種が存在しなかった。またチューニングは今みたいにパーツが無かったし、大切なクルマを切り刻むのは忍びない。一部やっていたのは、ヤンチャな層で、今のようにマフラーやホイールぐらいは変えてみようかなというのはなかった。響き的にはチューニングというよりも改造で、やったとしても違法改造でキップを切られるのが当たり前だったので、その点でも普通の人はさすがに手を出すことはできなかった。
そういった流れから次第に細分化してくるのは、昭和の末期、1980年代半ばになるとハイソカーや峠の走り屋などが登場して細分化されるようになってきて現在に至る。好景気によって価値観が多様化したのと、ベースとなる車種が増えてきたというのが背景にあるだろう。