この記事をまとめると
■2002年、F50に続くスペチアーレとして「エンツォ・フェラーリ」が発表された
■デザインしたのは日本人の奥山清行氏でそのモチーフは「ガンダム」だった
■そのメカニズムとパフォーマンスは、まるで公道を快適に走れるF1マシンかのようだ
フェラーリ会長も納得した「エンツォ・フェラーリ」のデザイン
前作のF50に続く、限定生産を前提としたスペチアーレがフェラーリから発表されたのは、同社が創立55周年を迎えた2002年のパリサロンでのことだった。これに先立ってフェラーリは、同年の春、日本の東京都現代美術館において「FX」、あるいは「F140」とも呼ばれる、その原寸大デザインモックアップを公開している。そしてパリサロンの前には、それに「エンツォ・フェラーリ」という、何よりも価値のある創業者の名が掲げられることも明らかにされた。
モックアップの段階ではルーフやウインドウがダークブラックに塗装されていたということもあるのだろう。実際にパリサロンに姿を現したエンツォは、基本的なデザインに変更はなかったものの、ルーフセクションがボディと同色となり、ウインドウは当然のことながら透明になったことで、視覚的にはよりスポーティな印象を感じた者も多かったに違いない。さらに細かくディテールを見ればリヤのフォグランプがやや中央寄りに移動するなど、わずかな変化があることが理解できる。
デザインは、もちろん当時はフェラーリのすべてのプロダクションカーを手がけていたピニンファリーナによるもの。チーフスタイリストは奥山清行氏。ちなみに彼はアメリカのGM、ドイツのポルシェ、そしてイタリアのピニンファリーナと、3つの国の自動車メーカーでチーフ・デザイナーの役を担い、ピニンファリーナ時代の代表作には、ほかにフェラーリの612スカリエッティやマセラティのクワトロポルテなどがある。
奥山氏を含むピニンファリーナのチームが描いたエンツォ・フェラーリのデザインは、もちろんエンツォの名を掲げるには十分に魅力的なものであったのだが、残念ながら当時フェラーリの会長だった、ルカ・ディ・モンテゼモーロはそれには賛成しなかった。そこで奥山氏に与えられた課題が、モンテゼモーロ会長を足止めする15分間の間に、新しいデザインを描けという普通に考えれば無茶なもの。だが、奥山氏はこうなることも想定して、常に頭の中に代案を用意する人物だった。そして15分後に完成したそれは、見事にフェラーリ側にも認められ、それがFX/F140として製作されていったのだった。
ちなみにこのFX/F140のデザインのイメージにあったのは、意外にも奥山氏が長年ファンだった、1979年放送開始の「機動戦士ガンダム」。その主人公であるアムロ・レイの搭乗機(モビルスーツ)「RX-78-2」であったという。
話は変わるが、ランボルギーニでムルシエラゴやガヤルドをデザインしたルーク・ドンカーヴォルケもまたガンダムの熱狂的なファンで、そのモチーフを実車に採り込みたかったと語っていた。ガンダムは世界の自動車、工業デザイナーに大きな影響を与えたのだ。