この記事をまとめると
■世界最高のレーシングコンストラクターであるダラーラがロードカー「ストラダーレ」を製作
■ダラーラ・ストラダーレはダラーラ創立50周年となる2022年で生産を終了する
■生産終了を直後に控えてエボリューションモデルの「EXPストラダーレ」を発表した
スーパーカーとレース業界で頂点を極めたダラーラ
ジャン・パオロ・ダラーラ。フェラーリを始め、マセラティやランボルギーニ、そしてデ・トマソと、数々の自動車メーカーでエンジニアとして卓越した才能を発揮し、その後自らの名を掲げたダラーラ・アウトモビリを設立。2022年はちょうど50周年にあたる。
この間、ダラーラが常に意識していたのはモータースポーツの世界で、たとえば1963年に設立されたランボルギーニに活躍の場を求めたのも、新興勢力の彼らであればフェラーリやほかのライバルに対抗するために、必ずやモータースポーツに活躍の場を求めるはずだという期待があったからだという。
だが、ランボルギーニの創始者であるフェルッチオ・ランボルギーニは、ダラーラが12気筒ミッドシップのミウラを生み出してもなお、モータースポーツへ進出する意思はなく、それを知るとダラーラは躊躇なくデ・トマソへの移籍を決意したのである。
はたして1972年に創立されたダラーラ・アウトモビリ社は、真のレーシングコンストラクターにほかならなかった。
ここからのサクセス・ストーリーは、モータースポーツの世界を知る者には半ば常識ともいえるもので、1972年には早くもファーストモデルの「SP1000」を、さらに1978年にはF3マシンの「378」をサーキゥとへと投入。2020年には世界中のすべてのF3マシンがダラーラ製となるほどの強さを見せつけたのだった。
ダラーラのマシンの優位性は、当初は40%、そして2008年には60%のスケールモデルでの計測が可能となったローリングベルト付きのウインドウトンネルによる空力実験の効果によるものが大きかった。さらに、1980年代後半にはカーボンモノコックという新たな基本構造体への研究も本格化し、ダラーラ製のマシンはますますサーキットでその強さを発揮するようになる。
1998年には平均速度が370km/hにも達するアメリカのインディアナポリス500マイルレースを制覇。2012年にはインディシリーズの全車がダラーラ製のマシンを使用した。
そのような成功の歴史の中で、ダラーラにはどうしても果たしたい夢があった。それは自らの名を冠したロードカーを生み出すこと。もちろん、コンセプトはこれまでサーキットに投じたレースカーと同様に、軽量でエアロダイナミクスに富み、魅力的な走りを実現するためのエンジンとシャシーを与えたもの。
長年にわたって培った経験をもとにダラーラは、2017年、その名も「ストラダーレ=道」と呼ばれるオンロードモデルを、2018年から5年間にわたって600台限定生産する計画を発表。ダラーラ製のマシン、しかもその最新作をドライブできる機会など、レーシングドライバーであってもほんの一握りの存在であることを考えれば、600人のカスタマーに自分の名を加えることにどれだけの価値があるのかは十分に理解できるところだろう。
繰り返すようだが、その生産が終了するのはダラーラが創立50周年を迎える今年、2022年のことになる。