人気のリトラクタブルヘッドライトを採用しても浮くだけだった
同じく、空力的な意味が感じられなかったリトラクタブル搭載車が、1981年に登場したマツダ・コスモだ。2ドアクーペ、4ドアハードトップが用意されたコスモは、見ての通りリトラクタブルヘッドライトを与えられたグリルレスのフロントマスクとなっていた。
カバーが上昇すると4灯ヘッドライトが出てくる様子はスポーティであり、ロータリーエンジンも設定するコスモのディテールとしてはけっしておかしな選定ではなかったが、はっきり言って評判は芳しくなかった。結果として、1983年には固定式ヘッドライトと立派なグリルを持つフロントマスクに変身。まさに自他ともに認める、リトラクタブルヘッドライトの採用がクルマのキャラクターと合わない失敗例の代表モデルとなってしまった。
コスモの失敗に懲りず、1989年にマツダは実用車のリトラクタブルヘッドライト採用にチャレンジする。それがファミリア・アスティナとユーノス100の兄弟車だ。
同じタイミングでユーノス・ロードスターもローンチしていたこともあって、マツダのスペシャリティカーとしての統一感を狙ったという部分もあるのだろうが、Aピラーから後ろは実用ハッチバックのフォルムで、顔つきだけスポーツカーのそれというのは、どうにもミスマッチだった。
そんなこともあって人気が高まることもなく、両モデルとも5年弱でフェードアウトすることになってしまった。
このあたりからリトラクタブルヘッドライトは、本当にスポーツカーだけの装備という位置づけになっていく。そうした中でセミリトラクタブルヘッドライトというアイテムによって個性を発揮しようとしたのが、1991年にフルモデルチェンジをした、いすゞピアッツァだ。
同社のオリジナル乗用車としては最後の世代となるピアッツァは、丸目4灯を少しだけ隠したセミリトラフェイスが特徴だった。これは基本設計を同じくする、同社のPAネロでも採用されたアイデアだったが、なぜかピアッツァのセミリトラは半目を閉じたような、どこかファニーな印象もある顔つきで、残念ながら有終の美を飾るような販売実績は残せなかったと記憶している。