資本提携と業務提携の解消で海外での活躍の場が制限された
しかし、次のモデルチェンジではスイフトと名を変えるとともにハッチバック一本に回帰。2001年に発表したエリオのセダンが後釜ということになったが、翌年にはひとクラス上に韓国のGM大宇が生産したシボレー・オプトラも登場する。
日本ではスズキがカルタスの後継車としてこのオプトラを販売することになり、米国では逆にスズキブランドでデリバリーされた。スズキとしては、すでに評価を得ていたスイフトのノウハウを生かし、このクラスも自社開発したいと思ったはず。その気持ちは2007年以降、コンセプト・キザシというショーモデルを3台もお披露目したことに現れていた。そして、作り上げたのが2009年に発売されたキザシだったというわけだ。
ところが発売の前年にリーマンショックが起こり、GMとの資本提携は終了。数年後にはスズキ自身も北米での四輪車事業から撤退した。しかも当時、自動車シーンは急速にSUVが浸透していた。その結果、2015年に販売を終了。日本ではわずか3379台で、約4分の1は警察車両という数字に留まってしまった。
欲を言えば、デザインにスイフトのような切れ味が欲しかったところ。未体験のクラスなので保守的になってしまったのだろうか。キザシという日本語の名前も、二輪車のカタナやハヤブサを意識したのかもしれないけれど、もう少しダイナミックな言葉を与えても良かったような気がする。
キザシを販売していた間、スズキはフォルクスワーゲンと資本提携をしていたが、販売を終了したその年に例のディーゼルゲート事件が起こり、関係は終了した。その後、スズキはトヨタと提携の検討に入り、2018年に手を結ぶと、RAV4PHVやカローラツーリングのOEM供給を受けて海外で販売している。
こうした状況を考えると、スズキがキザシの後継車を開発しなかったこともまた、このメーカーらしい先見の明と感じられるのだ。