モータースポーツは不可欠ではなかった?
もちろん、カーガイであれば「無理をしてでもモータースポーツ活動を続ける」という判断をするかもしれないが、他社の動向をみても、リーマンショック時にはモータースポーツ活動から撤退していた。ファンには申し訳ないが、2000年代の三菱自動車のモータースポーツ活動がブランド価値につながるほどの結果を残していたかといえば疑問も残る。益子氏が休止を判断したWRCにしても、WRカー規格になってからは、グループA時代ほどの輝きを見せていなかったのは事実だ。
つまり、2010年の段階では、三菱自動車のブランディングにおいてモータースポーツは必要不可欠なものではなくなっていた。誰が社長であってもラリーアートの活動休止というのは妥当な判断だったといえるかもしれない。逆にいえば、モータースポーツ部門がブランディングにつながる結果を示せなかったのであれば、撤退というのは当然の経営判断だったといえる。
そんな風に、いったんはブランドにとって必要ではないとされたワークスブランド「ラリーアート」が復活する背景には、何があり得るだろうか。
ひとつ考えられるのはアライアンスでのリソース活用ということだ。
ご存じのように、三菱自動車は、ルノー日産三菱自動車アライアンスの一員だ。この3社アライアンスでは開発リソースを共有することが既定路線になっている。たとえばフルモデルチェンジしたばかりのアウトランダーPHEVにしても、プラットフォームは日産がリーダーとして開発したものであり、そこに三菱自動車が開発したプラグインハイブリッドシステムを載せている。そして、そのプラグインハイブリッドシステムはアライアンス各社に提供する可能性もあるという関係だ。
ところで、ルノーにはルノースポール、日産にはNISMO(ニスモ)というワークスブランドがある。アライアンスでスポーツモデルを開発する場合には、ルノースポールとニスモで基本メカニズムなどを共有することが前提となるだろう。そうなると、三菱自動車にもルノースポールやニスモに相当するワークスブランドを用意しておく必要がある。
であれば、WRCやパリダカなどのヘリテージがあり、ブランディングに有効活用できる可能性を持つ「ラリーアート」を復活させるというのはアライアンスビジネスとして自然な流れといえる。
このあたりのストーリーは関係者が言外に示した内容を、筆者の妄想で補完したものだが、アライアンスの関係からすると、三菱自動車単独でラリーアートの復活を決定できるとは考えづらい。アライアンスがワークスブランド復活を認めたのだとすれば、アライアンスのリソースを活かした、世界選手権レベルのモータースポーツ活動に復帰することも期待したい。