この記事をまとめると
■ダラーラ・アウトモビリ社は自動車エンジニアのジャンパオロ・ダラーラによって設立
■F3のシャシーコンストラクターとしてモータースポーツ界では有名となった
■ジャンパオロ・ダラーラの想いを具現化した公道仕様車両も発売している
超一流のシャシーコンストラクターとして名を馳せた
レーシングカーのシャシーコンストラクターとして「ダラーラ」の名前を耳にしたことはあるだろうか? 日本でダラーラ製のシャシーを目にするようになったのは、1990年代のF3だったが、同社はこれより20数年ほど長い歴史を持っていた。
ダラーラ社は、その名のとおり、創始者ジャンパオロ・ダラーラの名前に由来するもので、ダラーラ自身も博士号を持つ自動車エンジニアである。
ミラノ工科大学を卒業したダラーラは、まずフェラーリ社に入社することになる。ここでカルロ・キティの配下で働いた後、マセラティに移籍してレース業務に従事。そして、4輪事業創業間もないランボルギーニ社にスカウトされ、初期のランボルギーニ社一連のスポーツカーの開発を手掛けることになる。この時代のよく知られた車両としては、同社の傑作、芸術作品と評されたミウラの存在が光っている。
ダラーラは、その後さらにデ・トマソ社に移籍したが、1972年に独立して「ダラーラ・アウトモビリ社」を設立。
彼の足取りを振り返ると、業務として市販車の開発に専念していたが、本心は常にモーターレーシングに顔を向けていたことが読み取れる。ダラーラ社として独立後は、ランチア社の競技車両開発を請け負い、ストラトス(グループ4)やベータ・モンテカルロ・クーペ(グループ5)を送り出している。
そして1978年、自社ネーミングのフォーミュラシャシーを開発してF3レースに参戦。ダラーラは、デ・トマソ時代にフランク・ウイリアムズと知己を得、同チームのマシンモディファイ、さらにはウイリアムズチームのオリジナルマシン、FWシリーズの誕生に携わってきた経緯があり、フォーミュラシャシーについては十分なノウハウを持っていた。
ダラーラ社のF3シャシーは、1980年代、そして1990年代と時代を追うごとに、深く市場へ浸透していった。