中国の国をあげた政策によって急成長を遂げる
その背景には、中国における自動車産業のこれまでの経緯がある。
中国が自動車産業(乗用車)を国策として始めたのは、実質的に1950年代初頭だ。筆頭となったのが、中国第一汽車集団である。中国で汽車とは、自動車を意味する。第一という名称には、中国政府にとって自動車産業への最初の一歩であり、かつ中国における最上位という意思を示したといえるだろう。その上で、第一汽車が手掛けたのが、紅旗である。
時代は移り、1990年代から2000年代にかけて、中国での欧米のライフスタイルを取り入れた経済成長政策が国によって推進されるようになった。高度経済成長のシンボルとして、その昔は日本でも目立ったように、自動車が社会全体に対する普及が起こった。
その中で、中国政府が行ったのが、自動車産業における外資規制だ。海外メーカーが中国国内で新車を製造・販売する際は、中国地場メーカーと合弁企業の設立が必須となり、海外メーカーの出資比率は最大50%と規定された(近年、一部の規定が変更)。
第一汽車は、トヨタや独フォルクスワーゲンとの合弁事業を行っている。
このことからも、中国政府が第一汽車を自動車産業で最重要企業であると位置付けていることが分かる。なぜならば、フォルクスワーゲンは大手外資のなかでいち早く中国市場に積極的に参入を決めたメーカーであり、中国政府との繋がりも強いからだ。
また、トヨタは中国市場参入に慎重な姿勢を占めていたが、本格参入を決断後の動きは大胆かつ早い印象がある。中国政府としては、トヨタのハイブリッド車など電動化技術に対する期待が大きく、その影響は第一汽車に直接伝わる。
電動化へと大きくシフトしていくグローバル市場。そのなかで、紅旗を皮切りに日本市場への本格進出を決めた第一汽車の今後の動きを、日本のユーザーも注視していく必要があると思う。