スカイラインの生みの親は「プリンス」! たった10年足らずしか存在しないのに「伝説」となった自動車メーカー (2/2ページ)

スカイラインがあり続ける限りプリンスの意思は受け継がれる

 さて、2000GTのベースとなったスカイライン(S50型)とは、どんなクルマだったのか。一言でいえば、日産ブルーバードやトヨタ・コロナをライバルとして想定したコンパクトなファミリーカーだった。ボディサイズは、全長4100mm・全幅1495mm・全高1435mm、スタンダードグレードのエンジンは1484ccの直列4気筒OHVで、最高出力は70馬力というものだった。

 ちなみに、2000GT-Bのボディサイズは全長4255mm・全幅1495mm・全高1410mm、1988ccの直列6気筒エンジンは125馬力を発生していた。いまでいうエボリューションモデルとして、どれだけインパクトがあったか理解できるだろう。そして2000GT-Bも全幅はベースと同じで、1.5m以下だったのは時代を感じさせる。

 ところで、スカイライン2000GTが積んだ6気筒エンジンを最初に搭載していたのが上級サルーンの「グロリア(S40型)」だ。1932年9月のフルモデルチェンジ時には、1862ccの4気筒OHVエンジンを積んでいたが、翌年に追加された「グロリアスーパー6」には国産2リッターモデルとして初めて直列6気筒SOHCエンジンが搭載された。そして、この「G7型」エンジンがスカイライン2000GTに展開されることになった。なお、グロリアスーパー6のボディサイズは、全長4650mm・全幅1695mm・全高1480mm、最高出力は105馬力となっていた。

 そんなグロリアが誕生したのは、スカイラインの変節が背景にある。コンパクトなファミリーセダンとなったS50型はスカイラインとしては2代目で、初代スカイラインはもっと大柄なボディの上級サルーンだった。こちらはトヨタ・クラウンや日産セドリックをライバルとして想定したモデルであった。つまり、初代スカイラインの後継モデルがグロリアで、2代目スカイラインはまったく別のカテゴリーにシフトしたのである。

 そんな初代スカイラインにはいくつかのバリエーションが用意されたが、いま見ても新鮮なスタイリングで印象的なのはスカイラインスポーツ(BLRA-3型)だろう。イタリアのカロッツェリア「ミケロッティ」に依頼したというボディデザインは、国産車とは思えないほどエキゾチックでセクシー。つり目に配置した4灯ヘッドライトも印象的だ。

 ほぼハンドメイドで作られたというスカイラインスポーツの総生産台数は、クーペとコンバーチブルを合わせても60台足らずといわれている。販売実績としては失敗作だが、スカイラインというブランドの礎となった存在としては忘れるわけにはいかないだろう。

 あらためて振り返ると、もともとプリンスのモデルに使われていたスカイラインという車名がいまだに現役で、しかも日産ブランドにおいて欠かせない存在になっているのは意外といえば意外だ。そしてスカイラインの名前が続く限り、プリンス自動車の伝説は折を見て思い返されることになるのだろう。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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