対処療法をよしせず根本を見極めるホンダの経営
競合他社を見ながらの開発や経営でない点は、四輪事業をはじめるきっかけとなった軽自動車のT360やS360の開発においても、トラックやスポーツカーにまず取り組み、いずれもDOHCエンジンを搭載するというように、暮らしを支え、なおかつ楽しみを忘れず、技術では高性能を目指すホンダの姿は、以来、貫かれているとみえる。
1990年代前半にミニバンを国内へ導入し、爆発的な人気を呼んだのもホンダの独創だ。背景に、商用車を持たず、セダンを主軸とした生産工場という規模の課題があったとはいえ、そのなかで何ができるかを自力で考えた末の商品計画であった。
技術では、二輪時代に英国のマン島TTレースに参戦し優勝、四輪では1960年代にF1に参戦し、ここでも優勝し、以後、昨年のチャンピオン獲得を含め、中断はあっても折に触れ高性能への挑戦を続けている。米国では、1969年からアルコール燃料を使うインディカーへエンジン供給を行い、そのなかで、佐藤琢磨によるインディ500での2度の勝利という栄冠をもたらしている。
エンジンの活用について、いまごろバイオ燃料などという声が出ているが、ホンダは永年にわたってアルコール燃料でのレースに挑戦してきた。そのうえで、現在の三部敏宏社長は「エンジンをやってきたからこそ、10〜20年後の脱二酸化炭素へ向けエンジンという選択肢はない」として、2040年にEVへの転換を宣言したのだ。
ホンダが、1970年代の排出ガス規制にあわせ、CVCC(複合渦流調整燃焼方式)で世界初の排ガス浄化を達成したのも、触媒など後処理装置に頼らず、本田宗一郎が根本からの解決を求めたことが、排出ガス浄化による大気汚染防止の道を拓いたのだ。
提携を拒むというより、常に根本(原理原則)を見極め、二輪・四輪・汎用のメーカーとして何をなさなければならないかを忘れない経営が、独自路線を歩ませるのであって、競合他社や、行政による規制や制度を見ながら進める対処療法的な経営とは、そこが異なるのである。