この記事をまとめると
■ランボルギーニが2021年に販売した自動車販売台数が同社最多を記録
■絶好調のランボルギーニであるが、過去には大失敗したモデルが数多くある
■ランボルギーニがかつてリリースした「やっちまった」モデルを紹介する
スタートからして「やっちゃってた」ランボルギーニ
コロナ渦中にありながら、2021年もランボルギーニは好調な世界販売の実績を残すことに成功した。その立役者となったのは、2014年から生産されているV型10気筒ミッドシップのウラカンと、2017年に発表されたSSUV(スーパーSUV)であるウルスの両シリーズ。
一方でV型12気筒ミッドシップのアヴェンタドールは2022年には納車待ちのモデルを生産するのみで、自然吸気ではない後継車が2023年に誕生する予定となっている。さらに近い将来には4番目のシリーズも登場するという噂も流れている。これが現在のランボルギーニ社の現状。それはまさに盤石の体制と言っても良いだろう。
だが、ランボルギーニの半世紀を超える歴史の中には、残念ながら満足な販売実績を残すことができなかったモデルも多々ある。いわゆる「やっちまったな」系のモデルだ。
だいたいからして、ランボルギーニが初めてその存在をアピールする舞台となった1963年のトリノ・ショー。そこで発表された第一号車の「350GTV」からして、創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニにとっては「やっちまった」モデルだった。かつてフェラーリで250GTOを生み出したジョット・ビッザリーニに設計させたV型12気筒エンジンはレーシングエンジンのように扱いにくく(しかもエンジンルームにそれは収められていなかった)、フランコ・スカリエッティによるボディデザインも気に入らない。フェルッチオは結局、まだ会期途中であるにもかかわらず、350GTVとともにトリノ・ショーを去ったのだ。
その改良型として1964年にデビューした「350GT」、1966年デビューの「400GT」は、それぞれ120台、273台が販売されるなど、創業初期のランボルギーニとしてはまずは好調な滑り出しを見せたともいえる。この両モデルのデザインは、カロッツェリア・ツーリングのマリオ・マラッツィ。
ランボルギーニでは400GTの成功を受け、早くも後継車の開発を進めるが、マテラッツィの要望を退け、フェルッチオは自社チームでのボディ設計とデザインを決断する。そして完成したのが1968年発表の「イスレロ」。イスレロは翌年には早くも高性能仕様の「イスレロS」へと進化を遂げるが、それでも販売はスタンダード仕様が125台、S仕様が100台を記録したのみだった。
当時並行して生産されていた「ミウラ」や、フル4シーターの「エスパーダ」が、いずれもトータルで約750台、約1200台という数字を、いずれも8年間、11年間にわたって生産し続けたことを考えると、わずか2年で生産を終えたイスレロもまた「やっちまった」ランボルギーニにほかならなかったのである。