上がり続けることは資本主義経済の仕組みからしてあり得ない
国産スポーツカーの元祖的存在といえるトヨタ2000GTにしても、1億円が相場という印象もあるが、個体のコンディションや時期によってずっと安い価格で落札されていることもあったりする。旧車の相場は必ず右肩上がりになるとはいえない。
もちろん、こうした希少車の相場というのは専門業者が作っている部分もあるので、大きく崩れることはないが、いずれにしても「いくらでも金を出すから欲しい」というユーザーがいない限り、どこかに上限は出てくる。
とくに市場で流通している車両が数台レベルであれば体力のある専門業者が主に扱うので、高い価格を維持できるが、2000年前後の国産スポーツカーについては、まだまだ流通している台数も多い。
そうなると、体力的に高価格の商品を持ち続けることに耐えられない販売業者も出てくる。当たり前の話だが、中古車ビジネスは仕入れたクルマを売ることで初めて利益がでる商売だ。希少で高価な在庫を展示しているだけでは一銭にもならない。
つまり、ユーザーが支払えない、支払わないレベルまで相場が上がってしまうということは、資本主義経済の仕組みからしてあり得ない。はっきりいって、スカイラインGT-Rに3000万円というのはユーザーを選ぶ価格帯であり、それがずっと続くとは考えづらいのだ。
最近では、さほどクルマに興味がないような層に向けた経済コラムなどで「国産スポーツカーの中古は値落ちが少ないから投資として有効」だとか「アメリカの25年ルールによって本来は右ハンドルの国産スポーツカーが流出して価値を上げている。だから、もうすぐ25年になりそうなクルマを買えば損しない」といった情報を見かけることもある。
1929年の大恐慌の前触れを示す有名なエピソードに『靴磨きの少年』というものがある。投資する資産もないような靴磨きの少年が、熱心に株の話をしているのを見た投資家が「いまが株価の天井で、もうすぐ暴落するに違いない」と危機感を覚え、手持ちの株を売り払ったという話だ。
これ自体は都市伝説のようなものだが、クルマにさほど興味のない層までも国産スポーツカーの中古車が持つ価値を語るようになっているという状況は、まさに靴磨きの少年を思わせるもので、狂乱ともいえる国産スポーツカーの相場が落ち着く日はそう遠くないかもしれない。