この記事をまとめると
■メルセデス・マイバッハからGLS 600が登場し、2021年7月には日本導入も発表された
■超高級ブランドであるマイバッハにSUVが必要かどうかを考える
■マイバッハはブームでSUVを作ったのではなく、SUVを作るだけの理由が存在していた
マイバッハが俗っぽいSUVカテゴリーに進出した理由
昨年の7月、メルセデス・マイバッハGLS 600 4マティックの日本導入が発表された。僕はそのニュースを知って、「SUVの世界もいったいどこまで広がるんだろうな」なんて、どことなくおもしろいような気分になったことを覚えてる。
そして少し前、編集部の某氏くんと話をしてたとき、彼からこんな疑問ともつかない疑問を投げかけられた。
「そういえば、マイバッハがどうしてSUVを投入したんですかねぇ? 何だか普通のブランドみたいで、ちょっと意外でした。マイバッハにSUVなんて必要なのかなぁ……?」
何となく気持ちはわかる。マイバッハほどの超高級車ブランドが、世界中で流行りになってるような、つまり俗っぽいといえば俗っぽいSUVカテゴリーに参入するなんて……、という感じだろう。しかも今回のベースになったのは、SUVのSクラスと呼ばれるメルセデス・ベンツSUVの最高級モデルであるGLS。ただでさえ十分過ぎるほど贅の凝らされたクルマなわけで、「それ以上って!」みたいな驚きもあったかも知れない。
確かにマイバッハは、そのブランドの歴史の中で、自動車に関しては超高級車しか作っていない。マイバッハとメルセデス・ベンツの縁は驚くほど古く、1880年代に現在のメルセデス・ベンツの始祖のひとりであるゴットリープ・ダイムラーと、マイバッハ・ブランドの始祖といえるヴィルヘルム・マイバッハが、ともに内燃機関開発のパイオニアとしてかなり緊密なパートナー同士だったのだ。そして1890年、一緒にダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフトを設立している。
自動車メーカーとしてのマイバッハは、ヴィルヘルム・マイバッハが1909年に飛行船で知られるツェッペリン伯爵とともに飛行船や航空機、鉄道車両のエンジン設計と製造を行う会社を設立したのがスタート地点。1912年にマイバッハ・モトーレンバウという社名にあらため、エンジンの設計・製造と並行して、1921年から1940年にかけて、当時のドイツの頂点級といえる超高級車を作っていた。顧客が貴族や企業家ばかりで、彼らの要望に応えたのだろう。
その後は1960年にダイムラー・ベンツが買収、関連企業として鉄道車両、船舶、軍用車両、産業用のなどのエンジンの製造を担うようになった。以来、自動車の製造は行っていなかったのだが、2002年、ダイムラー・グループのなかのメルセデス・ベンツの上位ブランドとして復活し、Sクラスよりさらに高級なセダンを生産したが、2013年に独立ブランドを廃止。2014年からはメルセデスAMGと並ぶメルセデスのサブブランド、メルセデス・マイバッハとして再度復活した。